想像すること
広告
幼いころから、休みの日には祖父母の家によく行っていた。にもかかわらず、未だに初めて聞かされる話が多いと感じる。(記憶になかっただけかもしれないが。)それは植民地時代に日本に渡ってきたときの具体的な話だったり、その後日本に残ることになった事情だったり。学校などでよく聞く1世の同胞たちについての話は、「共通した」「一般的な」1世同胞たちの話であって、そこに一歩足を踏み入れると、一人ひとり詳細はさまざまだ。
今年のゴールデンウィークも初めて知ったことがある。私が携帯をいじっていると、祖母が画面を見て「これはなに?」と聞いてきた。「これは、フェイスブックといって、誰かがここに記事を載せたりしたら、こうやって見れるの。例えばこれとか…」その時偶然開いた記事が、4.24教育闘争に関するものだった。
「この時ね、ハンメのオッパ(兄)も捕まって牢屋にいたんだよ。1年くらい経って出て来たかな?」
「え!そうなの!? それ初めて聞いたよ。」
「ハンメも今思い出した!」
あまりにも普通の口調で言うので驚いた。当時、そういう人がたくさんいたとは聞いていたが、今までどこか他人事のように捉えていたことに気付き、反省した。そのとき祖母はどういう心境だっただろうか? 自分に置き換えてみると、息が詰まるくらい悲しくなった。今はこうして同じ空間にいるが、目の前にいる人にとっては「戦争」や「植民地支配」、「4.24教育闘争」も歴史の話ではなく「経験」で、家族を失うことや家族と離れ離れになることなど、自分には想像しがたいことも「現実」なのだ。今思うと、祖母がなんの特別感もなく普通の口調で語ったのも、祖母にとってはそれが「非日常」ではなくて「日常」だったからだと思う。
大学2年生の時に行った歴史実習でクラスの子たちと、歴史を「知ること」だけではなく「想像すること」の大切さについて話し合った記憶がある。今回のように1世同胞の話を聞ける機会は実際は少なく、今後はますますなくなっていく。それでも、その事実を知ること、知らせることの重要性はこれからも変わらない。私たちがどれだけ自分のこととして想像して理解できるか。また1世同胞と直接会うことのないこれからの世代にどれだけ伝えられるか。いくら想像しても「十分」ではないだろうが、無意識でいたらきっと、自分とは接点をもたない教科書に出てくるだけのものになってしまうと思う。(S)