台所。
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(理)さんから貸してもらった本、「東京の台所」を読み終えた。
月刊イオ 2015年6 月号の「編集部オススメ!」欄で紹介されている本である。
「編集部オススメ!」で紹介されているように、久しぶりにおもしろい本だった。
普段、普通の人(一般人)の生活など目にしない。
まして台所なんて、他の人のお家にお邪魔しても、まじまじと見るものではないので、様々な人の台所はとても新鮮だった。
この本を読んで、自分の台所の記憶というものを考えてみた。
やっぱり台所イコール母だ。
実家の台所では、夜中12時を過ぎた時刻に、朝早く朝鮮学校へ通う私たちや朝が早い父のためにお味噌汁を必ず作ってくれる母の姿が毎日あった。
実はそれは現在も進行形で、産休中実家にずっといた私は、朝鮮学校に通う孫が泊まる夜には、母が昔のように夜中に台所にたつ姿をよく目にした。明日孫に食べさせる白米のおしかけ。火を入れれば食べられる汁物の準備。
いまも昔と変わらず昼夜問わず台所にたつ母に、思わず改めて尊敬した。
子どもが皆社会人になっても、次は孫で大変だね、と言ってみると、本当よね~と言いながらも、どことなく嬉しそうな母なのだ。
台所にはそんな風に、1日1日の年月が込められている場所なのだと改めて見直すことができた。否応なしに毎日過ごす場所、台所。
台所で過ごす、その人その人ごとに秘められた人生物語がある。
自分も自分の生活スタイルに全く自信などないのだが、語られない生活こそ良いものだよ、と問いかけてくるような、そんな本だった。(愛)