自分はどうか。まずは問いかけることから
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先日、(理)さんがブログで紹介していた「語り合おう!分け合おう!우리 경험(私たちの経験)~性差別撤廃に向けた経験交流会~」(主催:在日本朝鮮人人権協会 性差別撤廃部会)に参加した。性差別撤廃部会の活動に参加したのはこれが初めて。大学では授業だけでなく日頃を通してジェンダー問題に関心を持つようにはなっていた。しかしこうした場に足を運んだことは少なく、あくまで自分のなかの考えに留まっていたように思う。
共感したことや新たに感じたことなど、一つひとつ説明しきれないくらい多かった。特にジェンダー問題を「在日同胞社会」のなかで考えてみようという視点。自分たちのなかに存在する問題と向き合おうとして、やっとこの経験交流会の入り口に立つことが出来ると感じた。
在日同胞社会は、在日の権利のためにさまざまな運動をしてきた。しかし、その過程で見落としているものもあるのではないか。よく耳にする「同胞の人権のために」という言葉に、どこか矛盾はないだろうか。
そもそも「差別をしていない」と言い切れる人はいないと思う。みんなどこかで、なんらかの形で「差別」をしているかもしれない。
朝鮮大学校の文学歴史学部で教鞭をとる金真美さんが発表した「民族教育の現場における性差別撤廃の取り組み」のなかでとても印象的な話があった。卒論のテーマに「女性像」を選んだ男子生徒が、その理由について「しらないうちに加害者であったかもしれないから…」と答えたという。
社会的に語られる問題を自分自身の問題として考えてみることはそう簡単なことではないが、社会を本当によくするためにはその視点を持つことがとても重要だと思う。危険なのは、根っから自分を問おうとしていない状態だろう。
ジェンダー問題というと「女性に対する差別」という印象が少なからずあると思うが、そうではない。また細かな事例を見ても、自分が意識していなかったことが含まれている。ジェンダーにまつわる課題は、自分のあたりまえと思っていた日常に想像以上に存在すると実感した。自分はどうか。常に問いかけなければと思った。(S)