怖い
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この歳になってようやく、幽霊などといったものへの恐怖がなくなってきました。もともと霊感と呼ばれるものも一切ないし不思議な経験も皆無なので、怖がる方がおかしいのですが…。
それよりも、先日『ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』(安田浩一著)を読みながら、目の前にいる人と言葉の通じ合わない状況が一番怖いことなのかもしれないな、と感じました。
本書では、筆者がこれまで取材してきたヘイトスピーチの現場を振り返るとともに、「愛国者」を名のる人々がなぜ排外主義に走るのか、当事者たちの主張を引用しながら考察しています。筆者も繰り返し書いていますが、その「愛国者」たちの主張というものに論理性はありません。主にネットで得た言説のみを持って差別意識をどんどん肥大させ、少しでも都合の悪い言葉は怒鳴り声でかき消す。無茶苦茶な主張が、こんな強引に拡散されてしまう。被害者の声や気持ちは一切届かない。それがとても怖かったのです。
同じような怖さを私は取材の場で感じました。2013年最後の金曜行動。その日は、朝鮮大学校の代表らによる要望書の提出もありました。朝大生らは要望書の他に、自分の言葉で書いた抗議文を、何度も職員に訴えかけるように読んでいました。建物の外からは、「適用しろ!」「差別反対!」と、すでに集まった人々による抗議の声が上がっています。しかし、文科省の職員は目の前の学生たちと最後までほとんど目も合わせず、ただただ事務的に書類を受け取り帰っていきました。その姿を見ながら、頭に血がのぼるどころか血の気が引きました。私はそれまで、立場や主張が異なっても、こちらの思いを切実に伝えればまずはきちんと向き合ってもらえると信じていたからです。
昨日の午後、衆院特別委員会で安全保障関連法案が強行採決されました。そのようすを動画で見て、再び背筋が凍る思いでした。「強行採決反対!!」などと書かれた紙を持ち、大声で抗議するたくさんの議員たちがいるにもかかわらず、そのまま可決され終わってしまった会議。国会前のデモも見ましたが、戦争や、日本に暮らす一人ひとりの命に関わる問題なのに、その一人ひとりの声が全く届いていない。本当に恐ろしいことになっているな、と途方に暮れました。いま、さまざまな所で噴出している個人、または人々の怒りの声。怖がるだけではなく、私もいち早く呼応していかなければ、と焦りを覚えました。(理)