「戦後70年」を前に
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安倍晋三首相が8月14日に閣議決定するとされる「戦後70年談話」をめぐってさまざまな報道が飛び交っている。
8日の日経新聞電子版は、安倍氏が7日に自民、公明両党幹部に示した談話の原案には、戦後50年の「村山談話」や戦後60年の「小泉談話」に盛り込まれたアジア諸国への「お詫び」の文言が入っていないと報じた。しかし今朝のNHK電子版の報道によると、原案には「お詫び」や「侵略」など「村山談話」でキーワードとして位置づけられたすべての文言が明記されているという。
一方、首相の「戦後70年談話」の発表に向けて、首相の私的諮問機関「21世紀構想懇談会」が報告書を提出した。先の大戦中の日本の行為を「侵略」「植民地支配」と記す一方、「お詫び」を盛り込む必要性には触れなかった。
報告書をざっと一読してみたが、問題点は少なからずある。そのうちの一つが、中国と韓国に対して「寛容の心」を求めるくだりだ。
同報告書は以下のように指摘している。
戦争を戦った国々においては、終戦後二つの選択肢が存在する。一つは、過去について相手を批判し続け憎悪し続ける道。そしてもう一つは、和解し将来における協力を重視する道である。日本と米国、豪州、欧州は、後者の道を選択した。血みどろの戦いを繰り広げた敵との間でなぜ日本とこれらの国々は和解を遂げ、協力の道を歩むことができたのか。日本との関係で一つ目の道を選択し、和解の道を歩まなかった国々との違いはどこにあるのか。その解は、加害者、被害者双方が忍耐を持って未来志向の関係を築こうと努力することにある。加害者が、真摯な態度で被害者に償うことは大前提であるが、被害者の側もこの加害者の気持ちを寛容な心を持って受け止めることが重要である。
加害者が被害者に寛容を求めるというのは、端的に言って論外だろう。もし侵略や植民地支配を真に反省しているのであれば、果たしてこのような傲慢な物言いが出てくるだろうか。
戦後70年の歩みについても、「先の大戦への痛切な反省に基づき、30年代から40年代前半の姿とは全く異なる国に生まれ変わった」などとしているが、手放しで評価できるとはとても思えない。
そして、朝鮮半島の分断国家のもう一方である朝鮮民主主義人民共和国とは過去の清算や戦後処理が未解決だということについて言及がないのも問題ではないか。
「70年談話」がどのような内容になるのか、発表されていない時点であれこれ言っても詮無いが、動きは今後も注視していきたい(相)