モヤモヤ「戦後70年」
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テレビをつければ、日本の「戦後70年」にまつわる特集や「安倍談話」…。8月15日を跨いでの夏休み期間は、それらを見ながら頭の中にモヤモヤを募らせているうちに、あっという間に過ぎてしまった。実家住まいなので里帰りというものもなく、どこか旅行に行ったりもしなかったので、夏休みの記憶はほぼこれ一色だ。
8月15日が近づくとテレビで「終戦の日」特集が組まれるのは毎年のことだが、やはり「戦後70年」となると一段と力が入っている。なかでも、「若者」を主人公に戦争について考えるといった企画が目立つ。「過去の戦争から学び、未来の平和を考えよう」という思いは、若い世代も含め一定の範囲で共有されようとしているように感じる。
しかし一方で、どうしてもモヤモヤから解放されない。
その過去が「日本人にとっての戦争」にしか聞こえてこない。沖縄戦、広島・長崎での原爆投下、東京大空襲…。すべて「戦争」によるものだ。これらの体験者を直接訪ね生身の話を聞くことは、戦争を知る上で欠かせない。しかし、本当に「過去」を知ろうとするのなら、これだけにとどまっていいのかと考えてしまう。
「植民地支配」はどう説明するのか。自国の利益のために他国の統治権を奪い、そこに住む人々の人間性を奪い、虐殺し、自国の戦争に植民地の人々を駆り立てる。過去を直視すると、「植民地支配」の存在が出てこないはずがない。他の国もやっていたなどは問題ではない。本当に過去を知ろうとするのなら、「植民地支配」の被害者ももっと取り上げるべきだ。
なにか大きな物が抜け落ちている気がする。「戦後70年」、日本で「過去」や「戦争」と向き合おうという雰囲気が高まるほどに、どうしてもこういった疑問が拭えない。(S)