防災の日に
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昨日9月1日は防災の日で、鉄道会社や保育園などで避難訓練が行われた。子どもが通う保育園からは15時半に地震が起きたことを想定し、その時間に会社を出て、迎えにきてほしいと要請された。到着して、保育士に子どもと自分の名前を伝え、引き取る。名前を確認するのは、災害時に交通機関が麻痺して親が迎えに行けない場合、祖父母など近所の知人に迎えを頼むことがあるためだ。
区から届いた防災チェックブックを開きながら、備蓄品を確認すると、足りないものがいくつかあった。備蓄品は最低でも3日分必要と言われている。水は一人3リットル使うので、近いうちに買い足さないと。レトルトや缶詰は食べやすいものに、カセットコンロも補給しておこう。簡易トイレも二つでは足りない…などと思っているうちに2011年3月の東日本大震災の大きな揺れの記憶が戻っていた。
あの時、私は何を血迷ったのか、赤子を抱いたまま、人恋しさに家の外に出た。テレビで流れる衝撃の映像に、大型地震で何が起きたのかを判別できず、パニックになっていたのだ。大きな道路を隔てた最寄り駅では煙があがっており、サイレンが鳴っていた。気を落ち着かせて保育園に子どもを迎えに行き、無事を確認したときの気持ちは今でも忘れない。
防災の日は、1923年に関東大震災が起きた日に由来する。大きな災害が起きても自己防衛に走らず、隣人の無事を確認しあう、とは言葉では簡単だ。
前日の31日には鹿児島県で川内原発が再稼働した。目に見えない放射能から子どもを守ることも、忙しない日常のなかでなおざりにしていた。やはり、人間は忘れる。と自省した防災の日。(瑛)