祖父の20回目の命日に
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父方の祖父が亡くなって今年で20年になった。
先日、命日である10月19日を迎えて、チェサ(祭祀)を執り行った。
チェサとは朝鮮の先祖供養の法事の一種。祖先の命日や正月、秋月(旧盆)などの機会に祭壇に供え物をそえ、祖先の霊を招いて、再び天に帰ってもらう儀式で、長男の家に親族が集まって行うのが一般的だ。私の父は5人きょうだいの長男なので、機会あるごとに家でチェサを行うのがならわしになっている。
現代では儒教的な習慣や伝統行事はだいぶ減ってきたが、チェサは在日朝鮮人社会で連綿と続いている。少なくない在日同胞にとってはなじみの深いイベントではないだろうか。
最近ではチェサの回数を減らしたり、形式を簡素化するなど柔軟に対応する家も少なくないと聞く。うちもそうだ。参加者の翌日の都合など一切関係なしで、当日の深夜に始めるとか、準備は女性の役割だが、参加資格は男性だけとか、そんな非合理的で男尊女卑の伝統など知ったことか、というスタンス。準備はみなで役割を決めて割り振るし、女性も儀式に参加する。時間も、みなの都合をできるだけ考慮して決める。今回は翌朝8時から家族だけで質素なチェサを執り行った(親せきはみな離れて暮らしているのでなかなか集まりづらい。親せきが一堂に会するという部分にもあまりこだわりはないので、とくに問題はないのだが)。
週明け月曜日の朝がチェサの日というのは、めぐり合わせがあまりよくない。元旦なら、朝にチェサを済ませた後、思いっきり食べて飲んで、という流れになるのだが、平日(それも週の始まりの日の朝)だとそういうわけにもいかず…。
死者の追善供養、自分のルーツに思いをはせる場、親族が集まる場、などチェサにはさまざまな意義がある。なので、これからもチェサは続けていくと思う。(相)