忘れていた朝鮮語
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先日、大学時に学んだ先生から朝鮮語の詩集が届いた。同封された手紙には「《イオ》の記事で忙しくても、朝鮮語で文を書く機会を自ら設けるように。奮闘!」と(もちろん朝鮮語で)書かれていて、そういえば最近ずっとウリマルから離れた生活をしていたなと気づかされた。
その先生は詩人でもあるから、ウリマルの詩で返事を送ったら喜ぶぞ!と筆をとったが、なかなか上手く言葉にできない。そうこうしている内に2週間以上も経ってしまった。
朝鮮語は読み書きの方が好きだ。高2で「빼앗긴 들에도 봄은 오는가(奪われた土地にも春は来るのか)」を初めて習った時、はじめは抽象的でよくわからなかった内容が、語彙や表現の意味を一つひとつ解くうちに少しずつ理解できるようになるのが面白かった。すべての意味を習いおわってまた最初から読むと、詩に描かれている情景がどんどん目の前に広がっていくような感動をおぼえた。
大学の時は冒頭に書いた先生のお陰で、朝鮮歌舞団に朝鮮語の歌詞を提供することになった。曲は歌舞団の方がつけてくれて、チャリティCDのうちの1曲として収められた。卒業後もたまにその歌を生で聴く機会があって嬉しくなったものだ。
先生からの手紙を開いて、久しぶりに朝鮮語に親しむ楽しさが思い出された。まずは早く、いきなり詩は無理でもお返事の手紙を書いて、朝鮮語の文章感覚を呼び起こしたいと思っている。(理)