手話講演会に参加して
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先週、ある講演会の場で珍しい経験をしてきました。講演をしたのは、手話通訳士の桑原絵美さん。韓国留学や訪朝を機に現地のろう者たちと出会い、現在も交流を続けています。
朝鮮新報にも寄稿されています(http://chosonsinbo.com/jp/2015/12/20151208suk/)。私も事前にこの記事を読んで、桑原さん自身がろう者であることを知りました。
桑原さんは気さくで笑顔の多い人。補聴器をつけており、口頭での会話もできました。少しお話しすると講演の時間に。
テーマは「私は見た! 北朝鮮ろうと韓国ろう」。講演はパワーポイントと手話で行われたのですが、パワーポイントの画面は8~10枚程度。それ以外はすべて手話だけ、音声も字幕もありません。内容の9割は理解できませんでした(笑)。
もちろん、パワーポイントの内容だけでも全然知らないことばかりだったのですが、今回は内容よりも、その場にいることで考えることが多かったです。
例えば、ろう者たちにとって、「言葉=音」じゃないという当たり前のことを思い知らされたり。
完全なる静寂の中、自分以外は笑い声を上げたりして講演を楽しんでいる。自分だけ伝わらない不安、普段とは逆転したマイノリティ感を味わったり。
ろう者は表情や表現力が豊か。桑原さんの講演を見ながら、落語に似ていると感じたり。演劇なども上手そうです。
講演会の運営や会場の受付も皆ろう者でした。桑原さんが他のろう者たちとの通訳をしてくれたのでどうにか意思の疎通ができましたが、自分一人では困り果てていたでしょう。このような役割をしている人がいることで、いわゆる健常者とろう者がつながっていくのかなということも思いました。
他にも、ろう者同士の会話を見ていると、手話の最中、お互いを尊重するような態度や仕草がよく見られました。そうしないと意思疎通ができないから、本人たちには「尊重」という意識はないかもしれません。でも、私からしたら尊重と呼べる気持ちの持ち方をベースに持っているのかなと感じました。
また空き時間に、参加していたろう者たちと筆談する機会がありました。お互いの質問と答えをいちいち書くのは手間がかかりましたが、笑いも出て楽しい時間でした。同時に、自分はやっぱり社会の一側面しか見れていなかったんだなという実感もありました。仕事でも自ら探して行くのでも、社会の中の色々なことを知ることってやっぱりとても大切なんだなあと。
講演の内容は、桑原さんが改めて文章にまとめてイオ3、4月号で短期連載することが決まりました。とても貴重な経験をたくさんされているようなので、私も今から内容が楽しみです。(理)