「朝鮮学校百物語」に思うこと
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イオの連載「朝鮮学校百物語」の取材を何度かしました。
朝鮮学校にまつわるさまざまな話をまとめるもので、現在は「はじまり」というテーマで連載を進めています。
取材の前は、「何かいい話があるだろうか」と頭の中が漠然としています。地域の方もあまり知らないような話を掘り起こせるのか、限られた時間で取材が十分に出来るのかなど、実際は不安でもあります。それでも、取材を重ねると少しずつ見えてくるものがあったり、自分にとっての発見があったりと、とても印象に残る取材です。なによりも、貴重なお話を聞けた瞬間や、残っていないだろうと思っていた当時の写真を目にした瞬間は、宝石を見つけたような嬉しい気持ちになります。
昨日完成したイオ3月号では、広島朝鮮初中高級学校の吹奏楽部の創部初期について取り上げました。部活は、あくまで学校生活の一部にすぎませんが、生徒たちの中には「学校生活のすべて」といってもいいくらい全身全霊を注ぐ子たちがたくさんいます。部活に泣き、部活に笑い、そんな濃い時間をともにした部員同士の絆もとても深いものです。それほど学校になくてはならないものですが、部活の歴史というと、これまであまり考える機会がありませんでした。個人的に吹奏楽に触れたことはありませんでしたが、そんな意味で今回の取材はとても興味深いものでした。
広島初中高の吹奏楽部ができたころは、演奏どころか楽譜すら誰も読めなかったそうです。そんな時期に指導にあたってくれたのが日本の方だったことには驚きました。当時、部員だった金さんが、目を輝かせながら昔の思い出を語ってくれたのが印象的でした。「昔から、日本の方たちと手を取り合ってきた。在日や朝鮮学校に理解ある方たちの存在は大きな励みになった」(金さん)
部活の歴史に、このような形で日本の方との繋がりがあったということに感動しました。複雑な朝・日関係の中でも、個々人の絆が存在したということを改めて感じました。形は違っても朝鮮学校の無償化適用を求める運動や、いろいろな現場で今も変わらず、それぞれの絆があるということも。
日の目を見ていない物語が、一人ひとりの記憶の中にたくさんあります。それらを一つでも多く掘り起こすことで、未来につながる小さなヒントが見つけられればと思います。(S)