ある文章を読んで、子育てについて考えた
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先日、SNSのタイムラインに流れてきたある文章を紹介するブログ記事が目にとまった。
ある文章とは、「黒子のバスケ」脅迫事件を起こした被告の最終意見陳述書。
ここには引用しないが、ともかく考えさせられた。
ひとりの人間として、そしてひとりの子どもの親として。
(ネットで<【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない>と探すと読めます。)
最終意見陳述書には、精神科医からもらった本を読んで考えを改め、自分がなぜそういう犯罪を犯すようになったのか、冷静に客観的に分析している。
最初の意見陳述書ではあまりに幼い言葉たちが並んでいたが、ある精神科医の本を読むことで自身の置かれていた状況を把握した被告。
最終意見陳述書では、自身の経験に触れ、「根源的な安心」がどれほど生きていくうえで重要なものであるかを語っている。
罪を犯した被告を弁護する訳でもなんでもないが、生まれた時代(一昔前は「発達障がい、ADHD」という言葉もなく、勉強についていけない子どもたちは努力が足りない等と安易に切り捨てられてきた事も多かったと思う) 、育まれた環境で人はこんなにも変わってしまうものなんだなと妙に納得してしまった。
そして、両親が幼少期の子どもに与える影響は何と大きいことか。
多感な心を健全に育てていくには、親自身もたくさんのことをわかって、育てていかなくていけない。
子どもにとって何が一番大事なのか。そういう意味で、あの文章は子育てのためのヒントもちりばめれていたように思う。
日本にはたくさんの物があふれていて、たくさんの選択肢があり、たくさんの情報も氾濫していて色々と惑わされることも多いが、一番大事なものを見失わず子どもを育てていきたいと切に思った。(愛)