4年ぶりに訪れたウトロ地区
広告
京都府宇治市伊勢田町51番地。ウトロと呼ばれる在日朝鮮人集住地域は自衛隊の大久保駐屯地に隣接して展開している。
太平洋戦争中、京都飛行場建設に動員された朝鮮人労働者らが敷地の一角で生活してからウトロの歴史は始まった。もとの地名は「宇土口」(うとぐち)だったが、地域の人々が呼んだという「ウトロ」が次第に定着していった。今も地区内には130人ほどが暮らす。
長い間の懸案だった土地問題が決着し、宇治市、京都府、国がここに公的住宅2棟を建てることが決まり、地区の一部で先月下旬から建物の取り壊し工事が始まっている。2020年度までに市営住宅2棟61戸を完成させて住民が移り住む。年内に1棟目の住宅建設着手を目指すという。
先日、取材のため4年ぶりにウトロを訪れた。
夕暮れ時、工事現場でショベルカーがうなりをあげる。やがて夜の帳が下り、辺り一帯は漆黒の闇に包まれた。
労働者たちの集団宿舎として1980年代まで使われていた「飯場」、誰も住まなくなり朽ち果てた住宅。新たな町づくりにともなって、紆余曲折を経た住民たちの暮らしの痕跡が歴史の中に消えようとしている。(相)