安英学さんの引退
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プロサッカー選手の安英学さんがこのほど現役引退を発表した。
安さんは2002年、アルビレックス新潟(当時J2)でのデビュー以来、名古屋グランパス、柏レイソルをはじめとするJリーグのチームや韓国Kリーグでプレー、朝鮮民主主義人民共和国代表としても長く活躍し、2010年の南アフリカワールドカップにも出場するなどお馴染みの存在。
これまでサッカー取材には縁があまりなかったこともあり、フットボーラーとしての安さんと間近で接したことはほとんどない。安さんが出場した国家代表の試合を2回ほど取材したくらいだ。もちろん、個人的な知り合いでもない。
その数少ない機会の一つが、2004年9月8日、平壌の羊角島スタジアムで行われたFIFAワールドカップドイツ大会アジア二次予選のタイ戦。リーグ戦の一巡目の対戦を終えて朝鮮は首位UAEの後塵を拝していた。最終予選へ進めるのは1位のみ、タイ戦は絶対に負けられない試合だった。
代表召集2回目の安英学選手はこの試合、スタメンで出場し2ゴールを決め、チームの勝利に貢献した。国際試合で在日の選手が2ゴール、それもチームにとって絶対落とせない大事なゲームで。すごい! 当時、朝鮮新報平壌支局の記者としてスタジアムの客席にいた私は、取材者という立場を忘れて喜んでいた。糸を引くように相手ゴールに突き刺さるファインゴール、どよめくスタジアム、ピッチ上の安選手とチームメイト、私の隣で感情をあらわにして喜ぶ在日本朝鮮人サッカー協会の関係者―。13年前の出来事だが、その時の光景は今も思い出せる。
宿舎が同じだったので、試合後、レストランで食事をとっていた彼を訪ね、短いコメントをもらった。ただ、10年以上前のことなので、自分が何を質問したのか、彼が何と答えたのか覚えていない。しかし、試合のことは覚えているので人の記憶は不思議なものだ。
安選手の代表選出にサッカー協会からどれだけのプッシュがあったのか、この試合がチームや本人にとってどれほど大事な試合だったのか―。この試合での活躍がきっかけとなり安選手は代表に定着し、後に多くの在日選手たちも続くことになるのは後にさまざまなメディアで書かれたとおりだが、そんなことは当時、つゆほども知らなかった。
選手としてのプレーはもちろん、その人柄も相まって、ピッチ内外で多くの人々から愛された安さん。私はもっぱらメディアを通して彼の活躍に接していたが、彼が在日同胞社会に与えたインパクトの大きさは一目瞭然だった。
一時代を築いたレジェンドが表舞台から去った。今後、進むであろう新たな道の先に幸多からんことを祈りたい。安さん、長い間お疲れさまでした!(相)