祖母のこと
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山口県岩国市。近年めっきり足が遠退いた父方の田舎に久方ぶりに来ている。
小学生の頃から、夏休みや冬休みになると父方の実家へ遊びに行くのが恒例になっていた。大学を卒業して社会人となった後も、年に一回、年末年始には必ず足を運び、祖母と集まった親戚とともに亡くなった祖父のチェサ(法事)を執り行っていた。
6~7年前から法事を長男である私の父の家で執り行うようになってからは、自然と足が遠のいていた。昨年夏、広島方面への出張の際に寄ったのが最後だった。
一昨日、その祖母が亡くなった。96歳だった。葬儀は身内のみ。昨日は各地から一族が集まって、夜遅くまで思い出話に花を咲かせた。今日は最後のお別れだ。
日本統治下の朝鮮半島から渡日し、祖国解放後も米軍基地の街・岩国で養豚業や屑鉄業を営みながら5人の子どもを育てた祖母。70歳を過ぎてからもトラックのハンドルを握り、屑鉄集めをしていた。一方でこの世代の同胞女性には珍しく、女学校に通い、文字の読み書きができた。新聞を読み、テレビのワイドショーの芸能ネタにも詳しいお茶目なハルモニだった。
一昨年、病床の祖母を見舞った席で「おれもアボジのように80歳までは生きないとな」と言っていた私の父も昨年末、74歳で亡くなった。
人の一生は長いようで短い。(相)