吉里吉里人が今の日本を見たら
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8月号の月刊イオは、夏休みに向けて児童書を紹介する。
日本社会は相変わらずで、いろいろと指摘したいこともあるが、今日は読書について少し書きたい。
子どもの頃からそれなりに本は読んできた。それは、家にたくさん本があったからで、児童書もたくさんあり、成長過程で各年齢に合った本をそれなりに読めたことは、非常によかったと思っている。
今の自宅にも、それなりに本がある。息子は本棚から好きに本を選んで読んでいる。学校に通うようになってから、朝鮮学校までの長い通学途中、電車に乗っている時間に、児童書を持たせて読ませた。そのおかげか、今も読書が習慣、生活の一部になっているのは良かったと思っている。
1ヶ月ほど前に、散歩の途中に大手の古本チェーン店があったので、入ってみると、井上ひさしさんの「吉里吉里人」が全巻そろっていたので買った。30年ほど前に読んで面白く感銘を受けたので、息子に読ませようと思ったからだ。
しかし、家で何となくページをめくっているうちに、息子よりこちらが先に読み始めることになった(今は息子が熱心に読んでいる)。
再読して驚いたのは、本の内容をほとんど忘れていることだった。東北のある村が日本から独立を宣言して「吉里吉里国」を作ったという設定はもちろん覚えていたが、具体的な話の進行はまったくと言っていいほど忘れていた。本全体の印象も30年前とはずいぶん違っていた。
驚いたと書いたけれど、「吉里吉里人」に限らず、私は過去に読んだ本の内容をほとんど覚えていない。もったいないと思うのだが、他の人たちはどうなのだろう。内容を覚えていないのに、読書が人生の糧になっていると確信できるのが、読書の面白いところだ。
「吉里吉里人」は、独立騒動のなかで、政治や経済のあり方、農業(食糧)や医療、教育、自衛隊のことなど、日本社会のいろんな問題点を浮かび上がらせ痛烈に批判している。1981年に出版された本だが、当時の日本社会に対する批判は、今も充分に通じている。逆に当時と比べて、今の日本社会が良くなっているとは思えない。
22日の(相)さんの日刊イオ「石川県知事の恐ろしい発言」で書かれているが、石川県の谷本正憲知事の「兵糧攻めにして北朝鮮の国民を餓死させなければならない」という発言を報道で知ったときに、日本社会もここまで来たのかと戦慄した。本人は発言を「撤回」しているが、報道によると、朝鮮への制裁について、「実効性のあるものにしなければならない」「北朝鮮の国民に影響が及ぶ可能性があるが、内部から体制が崩壊していくような状況をつくることが必要だ」と発言している。まったく反省はしていないし今も知事を続けている。日本のマスコミもほとんど問題視していない。
稲田朋美防衛相が27日、東京都板橋区での都議選の自民党候補を応援する集会で行った演説「ぜひ当選、お願いしたい。防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」もひどすぎる。よくもまあ、次から次に問題が起こるものだ。いま日本の政治家のデタラメさは、とどまるところがない。30年前なら即座に辞任に追い込まれていただろう。
井上ひさしさんが生きていたら、今の日本社会を見て、どのように発言するのだろうか。今の日本から独立して新しい国を作り生活したいと思っている日本人も多いのではないだろうか。吉里吉里国の人たちのように。(k)