出張先、沖縄での出会い
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先月中旬、1週間ほど出張で沖縄に行った。
これを言うとみんなに羨ましがられるのだが、本当に自慢したくなるくらい貴重な時間を過ごしたような気がする。
本土には無い沖縄独特の景色や雰囲気もすてきだが、一番心に残るのは、やはりそこで出会った「人」たちだ。
まず、予想以上に多くの在沖コリアンと知り合えた。同じ同胞として心安らぐというのはもちろん、何より一人ひとりから聞いた話が全部印象的で、学ぶことが多かった。
そして、日本の方との出会いも。
他の地域と同じように、沖縄でもコリアンと日本の方の絆がひしひしと伝わった。
あたりまえのようにそこら中に米軍基地がある沖縄だからだろうか、「反戦」や「自主権」といった共通の方向を向く中で、その絆はより強いものに見えた。
タクシーの中で沖縄戦の記憶を聞かせてくれた運転手さん。
中級部の時に一度修学旅行で来たことを伝えると、「朝鮮学校の生徒もよく案内するからもしかしたら…!」と、再会“かも”しれない出会いに喜んでくれたアブチラガマの専属ガイドさん。
タクシーがつかまらずもたもたしていると、「平和祈念公園でしょ? 一緒だから乗って! 早く早く!」と相乗りさせてくれたタクシーの運転手さんとお客さん。
平和の礎の前で沖縄戦について話を聞いたおばあちゃんとは、他にもいろいろと長話して2人で盛り上がってしまった。
1つひとつ、結構面白かったり印象深い。
平和の礎の「朝鮮民主主義人民共和国」「大韓民国」に分けられた“朝鮮人”エリアには、沖縄戦で亡くなった朝鮮人の名前の一部が刻まれている。
6月23日の慰霊の日、その前へ行くと、琉球新報で記者をする本土出身の在日コリアンと会った。
同日に魂魄の塔の隣で開かれた「国際反戦沖縄集会」では、韓国から移住してきた若者と出会い、もう一度2人で平和の礎に行った。
3人で、刻まれた朝鮮人の名前を見ながら話した。
そんな、偶然のようでそうでないような出会いもあった。
「カンカン照り」のことを沖縄の方言で、「てぃだかんかん」と言うそうだ。
その間とてもお世話になった、在沖コリアンの夫婦が教えてくれた。
明日も日差しが強いからこれを持って行きなさいと、使っていた帽子を貸してくれた。
案の定、翌日はひどく晴れて、半袖だったため両腕に湿疹のようなものができてしまった(笑)。
機会があったら・・・
いや、機会を作って、また会いに行きたい。
その前に、現地で写した2人の写真を現像して、借りたままの帽子と一緒に郵送しなくては。(S)