日本の友達へ【平壌発10】
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朝鮮に来る前、小学生時代からの幼なじみよりメールが届いた。今年11月に札幌で結婚式を挙げるから日程が合えば参加してねとのことだった。
先日、なんとなくそのことを考えていて(日本に帰ったら飛行機の予約をしないといけないなーなど)、ふと、私がいま朝鮮にいると知ったらその子はなにを考えるかなと思った。
小学校と中学校は日本の学校に通ったので、地元に帰るとその頃の友達と会って近況などを話したりする。幼い頃から朝鮮名で過ごしているし、就職してからはイオを紹介したりもしたため、在日朝鮮人については自然な感覚で知っているはずだ。
しかしその子たちは朝鮮についてどんな印象を持っているのだろう。そういえばあまり考えたことがなかったし、聞いたこともなかった。特に興味がないだろうか。それとも怖かったり嫌な気持ちを抱いているのだろうか。
でもやっぱり朝鮮という言葉を聞いて連想するのは「北朝鮮」だろうし、その言葉はメディアによって否定的なイメージと一体になって社会全体に植えつけられているから、残念ながら良い印象はないかもしれない。
日本では、朝鮮に暮らす人々の生活や声がそのまま反映されたものを見る機会がまったくと言っていいほどない。
歴史や情勢といった文脈を無視して意図的に物事の一面だけを切り取り、都合のいいナレーションで作り上げてきた「北朝鮮」の姿。これがどれほど虚構に近いものなのか、どうにか政治的な言葉を使わずに伝えられないものだろうか。
流行の歌、女性たちの美的センス、ちょっとした恋愛事情、近ごろ人気の飲食店、時代のニーズに合わせて新しく登場した職業、発展する科学技術、改善されていく人々の生活、もとよりある習慣や風俗、民族固有の芸術…。
特に朝鮮という国の文化や価値観を知れば意外と簡単に理解できることがたくさんある。国や地域によって文化が違うのは当たり前だ。当たり前のことだが、それに気づいて初めて自身の色眼鏡を自覚する人もいるかもしれない。
もちろん私もすべてを見ているわけではないから、別に「本当の姿」とまでは言わない。しかし見た人がフラットに受け取り、自分で考えることのできる「ありのままの姿」を発信できる一人になりたいな、そう思うようになった。
「朝鮮ではこんなことがあるんだよ」「へー面白いね」。まずは身近な人から、こんな風に普通に話せるようになれば楽しいだろう。(理)