この悲劇、繰り返しはせぬ/関東大震災94周年朝鮮人犠牲者追悼式典
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関東大震災94周年を迎えた9月1日、朝鮮人犠牲者追悼式典が東京墨田区の横網町公園の朝鮮人犠牲者追悼碑前で行われた。
式典には歴代の都知事が追悼文を送ってきたが、今回、小池百合子・東京都知事はこれを取りやめた。朝鮮人虐殺の事実を消し去ろうとする知事の言動を問題視する市民たちの関心が集まり、式典には例年の3倍となる約500人が参加した。
開式の言葉をのべた宮川泰彦・実行委員長(76)は、「94年前の大震災で、十数万人の尊い命が奪われるなか、朝鮮人が井戸に毒を入れた、といった流言飛語が飛びかい…恐怖と混乱のなかで人の手によって朝鮮人の命が奪われた。朝鮮人への支配意識のなかで虐殺は起きた」と語りながら、追悼文送付を拒否した小池知事について「容認できない。事実に目を背けることだ」と強く批判した。
総聯東京都本部の洪正洙副委員長は、「虐殺された朝鮮人は必死に逃げまわり、殴り殺された。遺骨の収集すらなされなかった。日本政府に対し、この罪を認め償うとともに、在日朝鮮人と朝鮮学校への不当な差別を止めるよう求める」と訴えた。亀戸事件追悼会実行委員会副委員長の榎本喜久治さんは、「当時、祖父も虐殺に関わっていたのではないかと思うことがある。日本は血まみれの手を洗うことなく、アジア全域に侵略を進めた。民族と人間の誇り、文化と生活を奪ったその根源に虐殺があった」と過去を振り返った。
関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会の田中正敬事務局長(代読)、日本共産党東京都議団の河野ゆりえさんのあいさつ、金順子さんの「鎮魂の舞」が続くなか、参加者たちが追悼碑に献花し、悲劇を繰り返すまいとの誓いを立てていた。
献花の列には、東京郊外の東村山市から式典に参加した浅見みどりさん(43)の姿があった。「SNSを通じてこの催しを知った。朝鮮人虐殺について学校で習った記憶はないが、当時を思うと善意で手を下した人もいたのではないかと思う。東日本大震災を機に東京での震災を考えるようになったが、歴史から学ばなければ非常時に私が殺したり、逆に殺されてしまうこともあるだろう。自分の子どもに顔向けできないことは絶対にしたくない」と話していた。
横網町公園の追悼碑は1973年に結成された「関東大震災50周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」が建てたものだ。社会党、共産党、自民党にいたる政党、文学者や僧侶など幅広い日本市民の思いが集まり、寄付などの協力を寄せたのは593人、252団体に上った。それまで東京に追悼碑は一つもなかったという。
今回、都知事が追悼文の送付を拒否した理由は二つと見られている。今年3月2日、古賀俊昭・都議会議員が都議会で「朝鮮人虐殺は、朝鮮独立運動家が不法行為を働いた結果で、虐殺ではなく、自警団の過剰防衛にすぎない」などと主張。「歴史の事実と異なる数字や記述を東京都の公共施設に設置展示すべきではなく、撤去を含む改善策を講じるべき」とのべ、碑の撤去を求めた経緯があった。実行委員会の宮川さんらは都に対し、再三、要望を重ねたが、都知事は朝鮮人虐殺への認識は語らず、最後まで追悼文送付を拒否した。また、式典が開かれた隣で、朝鮮人虐殺を疑問視する団体「そよ風」が慰霊祭を開いたことも関係していた。
※昨年2016年に小池知事が式典に送った追悼文
赤石英夫事務局長(76)は、「知事は一般の慰霊に矮小化し、軍、警察、自警団が朝鮮人を虐殺した事実を無視することを行った。天災で亡くなった人を悼むのと、理由もなく差別により殺された人々を悼むのでは意味が異なる。行政の長としての誓いが必要だ」と怒りをぶつけていた。
※式典会場に展示された朝鮮人虐殺の事実を伝えるパネル
●関東大震災朝鮮人虐殺●
1923年9月1日正午午前に神奈川県相模湾でM7.9の大地震が発生。その直後に東京・横浜で「朝鮮人が襲来した」「井戸に毒が投げこまれた」などの流言が飛び交った。東京では末端の警察官がメガホンなどで流言を扇動した。赤池警視総監は軍に出兵要請をし、1日夜半には水野錬太郎内務大臣が戒厳令施行を断行した。この戒厳令により、民衆は流言を「事実」だと誤認。また、内務省は千葉船橋の海軍東京無線電信所から各地方長官あてに「不逞の目的を遂行せん」とする「朝鮮人に対する厳密な取締」を呼びかける電報を流すよう指示した。こうして9月2~9日にかけて軍隊、警察、自警団が6000人以上の朝鮮人を虐殺した。国家主導のもと、官民一体で行われたジェノサイドに対し、日本政府は未だ犠牲者、遺族への謝罪と補償はおろか、国家責任の所在すら認めていない。