ケンカ
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退勤時、バスに乗っていると前の座席にいた二人がケンカを始めた。私は窓の外を見ていたため初めは気づかなかったが、ふと目の前が騒がしいと思ったら、互いに険しい顔をして激しい身振り手振りで何事かを伝え合っている。声は一切聞こえない。二人は聴覚障がい者だった。
誰だってケンカする。しかし手話でのケンカは初めて見たので、後ろからその様子をじっと眺めてしまった。
50代後半から60代くらいだろうか。夫婦なのだろうか。女性が時おり男性の肩をバシンと叩く。少しハラハラしてきて、もっと目が離せなくなった。
「まくし立てる」という表現がぴったりくるほど高速で手話を繰り出している。手には力が入っていて、相手に当たってしまいそうな勢いだ。
そのうちに一つ気づいたことがある。二人ともかなり怒っているのに、相手の反論タイムになると、きちんとその言い分を見ていてあげるのである。口頭でのやり取りだって、自分が話し、相手が話すのを聞いて…と交互に行うし、手話だとなおさら、相手を見ないと言いたいことが分からないので当然と言えば当然なのだろうが、物理的に相手ときっちり真正面から向き合って行うスタイルが新鮮に映った。
以前、別のブログ記事(日刊イオ「手話講演会に参加して」http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/4d16db82b7714d0b8d4dfa669dc0a87e)で、『ろう者同士の会話を見ていると、手話の最中、お互いを尊重するような態度や仕草がよく見られました。そうしないと意思疎通ができないから、本人たちには「尊重」という意識はないかもしれません。でも、私からしたら尊重と呼べる気持ちの持ち方をベースに持っているのかなと感じました。』と書いたことがある。ケンカをする時も、やっぱりそんな感じ…
…と思った矢先、男性の反論中に女性が突然プイっと横を向いてしまった。完全なる拒絶。男性も少しうろたえて一旦ポンポンと女性の肩を叩く。気を取り直して手話を始めると、やっぱり腹が立つのか女性がまた拒絶。
心の中で、ついフフっと笑ってしまった。同時に、「そんなこと」をしてもいいという発想すら自分にはなかったことを自覚した。新しい発見の、さらにもう一つ上を越えていかれたというか、いい意味で裏切られた感覚というか。
残念ながら自分が降りる停留所に着いてしまったため、ケンカのようすを最後まで見届けることはできなかったが、なんというか、まだまだ自分のものさしでしか見えていない事柄が社会にはたくさんあるんだなあ、もっと色々なことに気づきたいなあと思った出来事だった。(理)