行きたい、会いたい、話したい
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「読者へ会いに」という小さな連載が始まって4年目。登場して頂いた方の数は、先日完成した4月号で40人になった。
読者カードに書かれたちょっとした呟きを拾い、その話の続きを聞いてみたいという思いから始めた企画だった(初取材のことは当時の日刊イオでも執筆)。
この人に会ってみたい、この人にも会いに行きたいと、これまで多くの人との出会いが実現してきたが、企画立案当初から特に会いたいと思っていた人がいた。
というか、そのハガキが連載のきっかけになったと言っても過言ではないかもしれない。
関西に暮らす、このとき66歳の同胞である。
パーキンソン病とは体の動きに障害があらわれる病気だという。手足が震えたり筋肉や関節が固くなって、病気が進むと一人で歩くことも困難になる。ハガキを送ってくれた方も震える手で、周りの人に手伝ってもらいながら文字を書いていたようだ。
「とっても楽しみにしています」「ありがとうございます」「これからもよろしく」、そして、「ガンバッテ!」。ご自身も大変だろうに、一生懸命イオ宛ての手紙を送り続けてくれたことに「コマッスンミダ」と伝えたかった。
しかし、肝心のこの方はまだ取材できていなかった。行こう、行こうと思いつつ取材計画などで自分の関西出張が減り、たまに行けても時間が取れなかった。関西出張の多い記者に取材を頼むのはもったいない気がして、いつか自分が行こうと思っていた。
先週から関西出張に来ている。この出張が決まり、主要な取材から順にアポを取っていったあと、「今回はいけるんじゃないか」と思って遅ればせながらハガキの裏に書かれていたご自宅に電話してみた。
『この番号は現在使われておりません…』
ハッとして総聯本部に問い合わせてみると、1年ほど前に亡くなったとのことだった。
「これから何年も入院生活が続くのでこの이어の本の発刊を楽しみにしています」―。
改めてハガキの文字を見て、あー申し訳ないことをした、と思った。時間が取れないではなくて取らなければいけなかった。なによりも優先して会いに行くべきだったと後悔した。他の記者に任せていれば、入院中のちょっとしたお見舞いとして喜んでもらえたかもしれない。少し罪悪感も感じた。
行こうと思った時が行くべきタイミングなんだなと痛感する。いつかいつかと引き延ばしていたらそのうち会えなくなるということが、やっぱり普通にあるんだと自分を戒めた。行きたい、会いたい、話したいをもっとちゃんと大事にしていこうと思った。(理)