4.24教育闘争70周年を迎えて
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昨日は4.24教育闘争70周年の日だった。
戦後の在日朝鮮人の権利獲得運動における一つのメルクマールとなった「4.24」から70年という節目に際して、各地でさまざまな行事が催された。
4.24教育闘争の際に大阪府庁前のデモで警官隊の銃弾に当たって犠牲となった金太一さんや、逮捕・投獄され、仮釈放後まもなく亡くなった朴柱範さんらが東京港区の青山霊園にある「解放運動無名戦士の墓」に祀られているということを初めて知り、その墓を訪ねたのが4.24教育闘争65周年にあたる2013年春のこと。
https://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/995d708b60630f1da723560ccb1382d9
同時期に、在日朝鮮人の権利獲得運動の歴史を振り返る連載企画で4.24教育闘争の現場にいた同胞たちを取材した。当時、2人の同胞にお話をうかがったのだが、その方々も数年前に他界した。
この取材の直後に、当時の当局の朝鮮学校弾圧を象徴する1枚の写真-幼い子どもたちが警官の手で教室の窓から外に放り出される姿をとらえた写真(場所は愛知県の守山朝鮮人初等学院)-の中の2人の少女が存命だということを知り、インタビューにも出かけた。
あれこれの取材をするにあたり、さまざまな資料や証言集も読み込んだ。
振り返ってみると、「4.24」やそれに続く朝鮮学校を守る同胞たちのたたかいに対する理解を深める機会を私にくれたのは、雑誌の記者、編集者という仕事だったのだと思う。(相)