レッツスタディ、イングリッシュ
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月刊イオ連載「日本の中の外国人学校」取材のため、福岡インターナショナルスクールを訪ねた。企画の趣旨説明や日程調整のため事前に何度かメールを交わしたのだが、校長先生がカナダ出身の方ということで文面はすべて英語。英語ができない私に代わって留学経験のある後輩がすべて対応してくれ、どうにかアポ取りまで完了することができた。
問題は現地での取材。校長先生へのインタビューはどうしたものか…と心配していると、見かねた(?)秘書の方が通訳のため同席して下さり、こちらもなんとか課題を達成した。
無事に取材を終えて学校をあとにしながら、英語力の必要性を改めて考えた。まさか仕事で英語が必要になってくる日が来ようとは。完全に油断していた。目の前にいる人が身振り手振りを交えながら真っ直ぐこちらに何かを伝えようと話しているのに、さっぱり理解できない。「ガバメント」や「グローバル」といった単語を一瞬聞き取れたところでなんの意味もなく、毎回の通訳が入るまで常に心もとなさを感じていた。
過去にも何度か、英語ができたらなあと痛感したことがある。一度は、東京入国管理局へ収容問題の取材に行った時、スタンディングデモをしているエチオピアの人に英語で話しかけられた。
私がカメラを持っていたからだろう、「ジャーナリスト?」と聞いてきて、「い、イエス」と答えると英語で一気に何かを訴えてきた。途中で何度か「ソーリー、アイキャント、スピーク、イングリッシュ…」(もちろんカタカナ発音)と、精一杯の申し訳なさそうな表情と一緒にせめてもの言葉をひねり出したが話は止まず。ここでも「ガバメント」という単語のみ聞き取れて、そのほかは一切伝わらなかった。
(一生懸命話してくれてるのに全く分からない…英語力のない人に当たってしまってごめんね~~! 政府がアレなんだよね、伝えたいだろうに…どうしようごめんね!!!)と無力感に駆られながら隣を歩く。相手の言葉を一つもキャッチすることができない。自分も関心のある問題だっただけに、結構ショックを受けた。
「英語できない」と言いながら、まあまあ対応できる人を何人も見てきた。私は本当に絶望的なレベルでできない。これも別のシチュエーションで、浅草付近のバス停で上野に行きたがっている外国人に話しかけられた時(地図を指し示していたから何が言いたいのかギリギリ分かった)、「次のバスですよ」と教えたかったのに、とっさに「ネクスト」すら出てこず「ソーリー」としか言えなかった苦い経験がある。
先日、英語ができる友人とそんなことを色々と話していたら「本当に必要性を感じていなかったら勉強は続かないよ」とアドバイスをもらった。確かに、その場その場で「英語ができたらいいのに」と思っても結局は一過性だったよなあと反省。もしあと1回、英語ができないことによってショックを受ける出来事に遭遇したら、その日のうちに簡単なテキストでも買ってみようかなと思っている。(理)