戦争から平和へ、分断から統一へ
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今から10数年前、2000年代の半ばから後半にかけての6年ほどを某新聞の朝鮮半島問題のセクションに身を置いていた関係で、この間、日本と朝鮮を行き来しながら取材活動を行っていた。
朝鮮での取材活動は非常にやりがいのある仕事だったのだが、中にはあまり気乗りしない取材現場もあった。離散家族の面会行事だ。「気乗りしない」と言うと仕事のやる気がないみたいに誤解されそうなのだが、その場にいるのがつらいというか、半世紀ぶりに再会できるという喜びと数日間の再会の後にまた別れなくてはいけないというより大きな悲しみが交錯する場に身を置きながら無力感に苛まれるというか、要は離別の場面があまりにも悲しかったのだ。
「見たか。これが民族分断の痛みの象徴だよ」
何回目の離散家族面会行事の取材だっただろうか。取材を終えて平壌に戻る車中、仕事でタッグを組む現地ガイド氏に言われた一言が今も胸に残っている。
今月の中旬に発行されるイオ7月号の特集を作る過程で、朝鮮半島現代史のさまざまな場面を切り取った写真を収集した。離散家族の面会をはじめ過去に自分が取材して書いた記事が載った紙面を見返しながら、さまざまな思いが胸に去来した。
史上初となる朝米首脳会談の開催が近づいている。
長らく敵対関係にあった両国のトップが対話のテーブルにつく。65年近くにわたって朝鮮半島を規定してきた不安定な停戦体制と朝米対立の構図を解体し、この地が世界で唯一残った冷戦の軛から解き放たれる可能性が眼前に広がる。これが持つインパクトの大きさを果たして(私も含めて)どれだけの人が理解できているだろうか。たとえば、上記の離散家族の再会という人道問題に関しても、面会事業の定例化とともに書信のやり取りなど継続的に連絡を取り合うことを可能にするためには、戦争終結と平和体制の構築が必須になるだろう。
北南首脳会談のときに感じたようなエモーショナルな思いは朝米首脳会談ではたぶん感じないかもしれない。しかし、会談(とその結果として訪れるであろう変化)に対する期待は朝米の方がはるかに大きい。
ともかく、まだ会談が始まってもいないのに、まだ結果が出てもいないのにあれこれ言ってもはじまらない。行方を静かに見守りたい。(相)