非武装地帯に統一墓地を~国平寺の遺骨・35柱が故郷に返還
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東京・東村山市の国平寺に安置されていた朝鮮人の遺骨35柱が、8月14日、日本からソウルへ渡った。1964年に創立された国平寺は、日本各地に散在している朝鮮人の無縁仏を集め、法要を行ってきた。その数300柱。国平寺に残る朝鮮人犠牲者の遺骨が故郷に渡ったのは昨年8月6日の33柱、今年2月27日の33体に続く3回目だ。
日本の植民地支配時に日本で犠牲になった朝鮮人の遺骨返還に関しては、数年前から、非武装地帯に北と南の共同墓地を作る民間レベルの活動が始まっており、実現の日まで遺骨はソウル市内の寺院に安置される。
遺骨を見送るための日帝強制連行朝鮮人犠牲者遺骨奉還追慕法要が8月12日、国平寺で行われ、韓国・日帝強制徴用犠牲者遺骨奉還委員会のソ・ボンス団長ら南の市民、総聯西東京本部の金益淳委員長、朝鮮人強制連行真相調査団の河秀光事務局長、日本人有志、地元の同胞たちが約60人が集まった。
「朴聖守、金尚壽、具辰漢…」。午後4時から行われた法要では35名の名前が呼ばれた後、尹碧巌住職(62)が念仏を唱え、ソ団長が「最後の一人まで故郷の地に連れて帰りたい。奉還のために心をひとつにしよう」と呼びかけた。
国平寺が保管する遺骨中、生年や死亡理由が分からない人は多いが、朴聖守さん(享年40歳)の遺骨は栃木県朝鮮人強制連行真相調査団によって死亡の経緯が明らかになっている。
1902年に慶尚南道で生まれ、栃木県の草木ダムの基礎工事場で墜落死した朴さん。同調査団は日本の行政機関の責任のもと、縁故者の照会、また遺骨を引き渡す家族を探すことを求めたが、放置されたままで、この間、足尾町の蓮慶寺が遺骨を安置し、調査団の日本市民が追悼を続けてきた。
しかし、連慶寺の存続が難しくなったことにより、国平寺が受け入れ、このたび故郷への奉還となった。法要の場では、栃木県日朝交流県民の会・橋本浩一さん(73)のメッセージが代読され、「朴さんの遺骨が故郷に戻るというので感慨無量だ。これからも、栃木県に連行され、犠牲になった朝鮮の方の恨を供養し、追悼の意を表明することが、日本が朝鮮に対して行った過去の罪を謝罪し歴史の教訓に刻み未来を目指すことだと信じている」との思いが伝えられた。
尹住職は、4月27日の板門店宣言後に北南の民間団体の間で遺骨奉還について合意が見られ、松代大本営の地下壕建設に従事した2600人の名簿が関係者を通じて北側の「日本軍性奴隷及び強制連行被害者問題対策委員会」に伝わるなど、遺骨返還をめぐる進展を動きを紹介しながら、
「日本の朝鮮強占期に犠牲になり、遺族の元に戻れなかった遺骨は数え切れないほど多い。
今日、帰る遺骨はほんの一部。放置されたままの遺骨を統一した祖国に祀ることは、かれらの尊厳を再び取り戻すことにつながる。今日の法要はわが民族が二度と外勢の犠牲物にならず、植民地と分断で刻まれた過去を清算し、統一へ進む私たちの意志を示す場となる」と語った。
最後に中庭で死者に捧げるクッ(ムーダンが行う祭祀)が行われた。
来日した奉還委員会のリ・ジョンフィ事務局長は、「非武装地帯に統一墓地を作りたい。南北に住むすべての人たちが、植民地によって犠牲になった人たちを追悼する場があればと夢見ている。犠牲者への供養を通じて、引き裂かれた人々の心を集め、統一を近づけたい」と涙ぐんでいた。
尹住職は、「遺骨の返還は人道問題。しかし、日本政府の対朝鮮制裁のなかで朝鮮に暮らす遺族の来日すら許可されていない。南北、海外の民間団体が力を合わせることで、日本政府が過去の植民地支配の清算に向き合うよう働きかけたい」と積年の思いを話す。
労務動員による犠牲者の遺骨に関して、日本政府が南北の両政府と協議し、返還したことは過去に一度もない。 (瑛)