イオ10月号の編集を終えて…
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イオ編集部は、昨日が締め日でした。印刷業者にデザインした誌面データが完納されると、約1週間をかけて雑誌が刷られます。1週間後、トラックに搬入され、イオは届きます。
最近、誰かと一緒に仕事をする、ということをよく考えるようになりました。
私は今の会社に入ってから、10年ほど新聞記者をしていましたが、最初に配置されたのは整理部でした。記者が書いた原稿を組む仕事で、整理部にいた1年は仕事の基本を叩き込まれました。
入社1年前の仕事の失敗と、空回り続けた日々は、思い出すたびに恥ずかしくなりますが、中でも誤字を出し、冷や汗にまみれて、1階の輪転機まで走った日のことは忘れられません。
輪転機が止まると、発送が遅れる→
発送担当の職員が駅まで車を飛ばすことになる→
到着時間に間に合わない場合、日本全国への発送が遅れる…
など、自分のミスが及ぼす多大な影響を「失敗」から学びました。失敗には、自分が責任を取れるものと取れないものがあり、後者は多くの人を傷つけ、会社の信用を失墜させます。
あれから時は流れ、今では印刷も外注になり、「目で、肌で」一緒にモノを作る実感のようなものは薄れてきました。寂しいことではありますが、誰かと協力しあいながら「モノを作る喜び」、刺激しあい、フォローしあいながら、「モノを作る感覚」を伝えていきたいと思うこの頃です。
ささやかですが、最近嬉しかったことは、印刷会社の方から誌面の感想を聞けたこと。
7月号に掲載した「朝鮮半島現代史きほんのき」の問答が分かりやすかった、「私たちは朝鮮半島のことをよくわかりませんから~」と感想を伝えてくれ、デザイナーのRさんを前に、「Rさんのブログを楽しみにしている。Rさん、もっとはじけてください!」と期待をかけてくれました。
数日前から、ある大先輩のOBが会社の仕事を手伝ってくれているのですが、20数年前には一世の記者がまだ編集の現場にいたことを思い出しました。本場のウリマルが飛び交い、意見がぶつかり合い、緊張が走る現場。若い私なんぞの原稿は真っ赤に染まり、ちっぽけなプライドはどこかへ飛んでいきました。
それでも、書いた原稿に真剣に目を通してくれ、意見をくれては次の課題を与えてくれ、落ち込んでいるときに励ましてくれた数多くの先輩たちがいて、今日まで書く仕事を続けてこられたと思っています。
思い出す面々…鬼籍に入った方を想うと悲しくなりますが、御世話になった先輩たちとの付き合いは今でも続いています。
イオのホームページhttps://www.io-web.net/のデザインを手がけてくれたHさんもその一人。
編集部を離れても、イオを思い、自分の技術を惜しみなく差し出し、「次の一手」を提案してくれるカッコいい先輩です。
ご無沙汰している筆者も多いです。忙しない日常の中でも、一人ひとりの顔を思い出せる心の余裕を持ちたいですね。
さて、編集部では、いよいよ来年度の企画会議が始まります。(瑛)