新年、池上本門寺へ
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新年、明けましておめでとうございます。
새해, 복많이 받으세요.
ということで、新年1回目のブログ更新となりました。
2019年最初の取材で池上本門寺へ行ってきました。
日蓮宗の大本山として名高い池上本門寺の住所は東京都大田区池上1-1-1。まさに地域の1丁目1番地です。
本門寺の名前自体は知っていたものの、訪れるのは今回が初めて。お寺そのものに対する取材という意味合いは薄かったのですが、せっかくの機会ということで、今回の取材をコーディネートしていただいた某氏の案内で各所を見て回ることにしました。
印象深かったのが、日本や朝鮮の近現代史の表裏を彩った人々の墓や碑石が数多くあったこと。
まずはプロレスラー・力道山の墓所。これ以上なにか言う必要がないほど有名な方なので説明は省略します。
岡本柳之助の墓もありました。岡本は1895年、当時の日本公使の三浦梧楼が主導して朝鮮王朝の王妃だった明成皇后(閔妃)を景福宮で殺害した「乙未事変」の実行部隊の一員だった人物です。
ほかに、児玉誉士夫、町井久之といった裏社会系の大物たち、自民党の大物政治家・大野伴睦などなど。限られた時間の中で見て回ったので、当然ながらほかにもっと多くあります。
「シンガポール チャンギー殉難者慰霊碑」にも足を運びました。第二次世界大戦後、連合軍によってBC級戦争犯罪人とされた日本の軍人軍属の裁判がシンガポールのチャンギーで行われ、日本人として戦争に動員された多くの朝鮮人も死刑や長期の有期刑に処せられました。石碑の裏面に刑死した人物の名前が刻まれていて、朝鮮半島出身者の名前も見つけることができます。
昨年、NHK大河ドラマ「西郷どん」が話題となりましたが、本門寺は西郷隆盛が率いる倒幕軍が江戸城総攻撃に向けて本営を置いた場所としても知られています。1868年4月、西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しのための会見を行った場所も残っています。
小一時間の歴史探訪だったのですが、今度、あらためて時間を取ってゆっくり見て回るのもいいかもしれないと思いました。(相)
処分大田区には第六初級学校があり本門寺がある池上の隣の駅千鳥町から徒歩三分。
力道山が住んでいたこところは池上本門寺からそう遠くなかったらしい。70代の大田トンポは力道山が住んでいた場所を覚えている。
60代後半の当時の中学サッカー部、バスケット部は第六学校から本門寺まで走って行き本門寺の100段近い階段を登り降り、うさぎ飛びなどでしごかれていた。なつかしいはなしだ。
力道山のお墓にはいまだにお参り、見学に来る人が絶えない。
朝鮮最後の王妃 민비 を殺害した首謀者 岡本隆之助の墓ほ力道山のお墓から100メートルも離れていない。
本門寺事務所で聞いたところ岡本は檀家ではなく墓守する人もいないので処分したいが「有名人」なのでそのままにしています。と言っていた。