子どもたちの声にどう応える?/最高裁勝利をめざす「東京集会」
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「最高裁勝利をめざして!朝鮮学校の子どもたちに笑顔を!―子どもたちの声にどう応えるか― 東京朝鮮高校生無償化裁判2・2集会」が2月2日、東京都武蔵野市の武蔵野公民館で350余人の参加のもと行われた。
東京の無償化裁判は2018年10月30日の高裁判決で原告・朝鮮学校側の敗訴となり、舞台は最高裁へ移った。司会に立った千地健太さんは「立ちあがった子どもたちに勇気を得た反面、大人の責任で解決できなかった忸怩たる思いがある。子どもたちの声をどう受けとめて取り組んでいくのかを考えるきっかけにしてほしい」と趣旨を伝えた。
朝鮮高校生の「金曜行動」での発言を紹介した映像が流された後、発言が続いた。
今後の裁判について報告した李春熙弁護士は、「高裁判決は朝鮮高校を就学支援金対象とする根拠規定だった『規定ハ削除』の違法性を隠すため国側の主張にのった。国が不指定処分の理由とした二つの理由が矛盾していることに論点を絞った上告理由書、上告受理申立理由書を1月29日に提出した」としながら「法律の理屈では学校が勝っている。みなさんと一緒に雰囲気を変えていく努力をしていきたい」と結んだ。
田中宏・一橋大学名誉教授は、ポツダム宣言やカイロ宣言に明記された「朝鮮人の奴隷状態に留意する」という文言は、民族の言葉、名前を奪われた朝鮮人の歴史的な体験が奴隷状態に置かれているという国際認識があってこその言葉。戦後日本の原点だ」と指摘。スイス・ジュネーブの国連・子どもの権利条約委員会に参加した金栄愛・東京朝鮮中高級学校オモニ会直前会長は、現地で欧米に暮らす同胞と連帯し差別をアピールした手ごたえを伝えた。オモニたちからも力強い発言が続いた。
集会を前に「東京朝鮮高校生の裁判を支援する会」の第6回年次総会が開かれ、250万円のスンリ基金が東京中高の慎吉雄校長に贈られた。
長谷川和男「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」共同代表は、「大変な思いをしている子どもたちの期待に応えるため、総力をあげて朝鮮学校を支援しなければ。国会議員、朝鮮学校を知らない人…一人ひとりがパイプをつなげていこう」と呼びかけた。
この日の集会の光景はいつもと少し違った。
就学支援金の対象からはじかれている朝高生は参加せず、大半は大人。大人たちの責任として、日本社会の責任として、一人ひとりがこの裁判を闘う意味とこれからなすべきことを、自分の言葉で語っていた。
中でも印象深かったオモニたちの発言を紹介したい。
◎東京都在住のパク・チジャさん
足立から来ました。昨年、私の末っ子の息子が高校3年になり最後の高校生活を送りました。サッカーが大好きな息子は、小さい頃からの夢だった全国大会に出場するため、毎日朝早くから休みなく部活動に励んでいます。高校生にとって一時間、一日、一年という時間はかけがえのない貴重な時間。その大事な部活動の時間を割いて、自分たちが受けている差別の怒りをぶつけ、自分たちの存在を認めてもらおうと、文科省の前に立ち、闘っています。金曜行動が終わると、学校に帰り、またボールを蹴ることもあります。
どうして、私たちの子どもたちだけが、こんな思いを胸に、部活動をしなければならないのでしょうか。一日も早く、日本の高校生と同じように、心置きなく勉強や部活動に励める環境を作ってあげたいという思いでいっぱいです。かわいい子どもたちのために、これからも勝つまでかならず闘い続けようと思います。
◎埼玉県在住のハン・クムスさん
埼玉朝鮮学校に2人、東京朝高に一人の子どもを通わせています。埼玉では朝鮮学校を支援してくれる日本の方々や弁護士がいます。私もできることから、映画学習会など、無償化実現のために、一つひとつがんばっていきたい。
◎千葉県在住のリ・ジョンエさん
昨日ある演劇を見ました。朝鮮高校生の一人芝居で実話に基づいた芝居でした。演劇で印象的に残った場面がありました。
1990年の始まりに日本の学校に通う在日コリアン3世がいじめられて思い悩み、学校にも行かなくなり、その怒りを祖父母やハルモニやハラボジにぶつけます。祖父母に向かって「どうして日本に渡ってきたんだ」、家計のために朝鮮料理屋をしているオモニに、「苦しい。日本人になりたい」と叫ぶのです。とても胸が痛みました。今もそういう思いをしている在日の子どもがいるかも知れません。
朝鮮学校に通う子どもたちは、無償化から除外されても、誇りをもって闘い続けている。民族教育を受けたからこそ、朝鮮学校の生徒たちは、歴史を知り、言葉を知り、誇りを持っていつまでも闘い続けることができる。そういう思いになりました。
子どもの声にどう応えるか。私はウリハッキョをどんなことがあっても守ります。民族教育はウリハッキョでしかできない。これからもがんばります。
◎西東京在住のチャン・キョンエさん
私は、高校まで日本の学校へ通っていました。自分が朝鮮人であることがイヤでした。家は朝鮮料理屋という看板を出して商売をしていたので、どうしてもバレてしまい、学校で朝鮮人と、からかわれることもあった。
なんで朝鮮人として生まれてきたのだろう。そういう思いもしました。高校生のとき、サマースクールに参加し、朝鮮人であることを隠していたことを恥ずかしいと思い、もっと色んなことを学びたい、朝鮮学校で学べなかったことを残念に思いました。だからこそ、自分がどんな苦しく厳しい状況でも、3人の子どもたちは朝鮮学校に通わせようと思いました。
末の娘が来月朝高を卒業します。子どもたちは、幼稚園の頃から朝鮮学校に通っていたので名前を呼び合い、朝鮮の文化と歴史も習う。朝鮮人としてごくごく自然にあたり前なことを羨ましく思います。
その子どもたちが何年もの間、辛い思いをしています。学業や部活の時間を割き、暑い日も寒い日も自分たちの権利獲得のために文科省前に立ち続け、がんばっている。顔から笑顔が消えるんです。子どもたちの笑顔をにごらせることをしてはいけない。子どもたちはこれからの日本社会でも十分に活躍していける。私たち大人は隣で一日も早く本来の学生の姿に戻れるように一緒に闘っていきたい。勝利する日までがんばり続けましょう。
◎栃木県在住のソ・ジョンミさん
栃木から東京中高に子どもを通わせています。昨年11月に文科省に要請に訪れた韓国からの訪問団の男性が役人の方々に強く訴えました。「この闘いは必ず勝つしかない。勝つまで闘うからです」と。私たちの思いを代弁するように強く訴えてくれました。ここに集まってくれたアボジ、オモニ、同胞、日本の方々も同じ気持ちではないでしょうか。これからも、ともに闘いましょう。