活字時代の編集作業
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2月18日の日刊イオで「校閲という仕事」という文章を書いた。その中で、「手書き・活字時代と今のワープロ時代の間違いの違いなど、体験してきた内容がたくさん出てきて興味深く読むことができました」と書いている。
日本の「対朝鮮独自制裁」延長、幼児教育と保育の無償化法案、出入国在留管理庁の新設、統一地方選挙、副大臣の忖度発言など、日本社会の中でいろいろと気になることは多いが、あまり書く気にならないので、今日は昔と今の編集作業の違いについて一つだけ書きたいと思う。
私が社会に出て編集・出版の仕事についた頃(38年前)、新聞・雑誌の多くは鉛の活字を組んでの活版印刷だった。今の若い人は、活字を見たり触ったことがない人がほとんどだろう。
活字を組む活版印刷の場合の編集作業は、今のPCでの作業と比べると驚くほど煩雑だった。まず、原稿を印刷所に渡して校正紙を受け取り、校正の直しをまた印刷所に渡すという繰り返し、そうした印刷所と編集部とのやり取りが煩雑だ。
それ以外にも、印刷所から校正紙が出てきて、10行ほど原稿がオーバーしたり少なかったりしたら大変だ。印刷所の職人がオーバー分の活字を抜き取ったり、少ない分の活字を加えたりしなければならないからだ。1行を調節するのにも、PCだと1ページ目最初の段落で調節してもキー操作ひとつで最後まで自動的に行が変更されていくが、活字の場合はそれが4ページの記事だったら職人が手作業で4ページ分、行をずらしていかないといけない。だから、行の調節はできるだけ文章の最後ほうでやるようにと教えられた。
いま、まわってくる校正紙を見ると、再稿(2度目の校正紙)でも、非常に多くの赤(修正)が入っていることが多い。修正作業もPC上だと簡単だが、活字の場合は大変だ。だから直しても直さなくても大差がない場合は、赤を入れなかった。赤をいっぱい入れたら怒られた。
活字の時代は安易な修正が許されなかったから、校正紙が組まれた段階で大幅な修正をしなくてもいいように、原稿の段階でできるだけ完全なものにする。そのことを口酸っぱく教えられた。PCでの作業が当たり前になった今も、原稿を書く記者も原稿をチェックする方も、それは守られないといけないことだと思う。(k)