高齢者ドライバーの交通事故と運転免許
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先月19日、東京・池袋で87歳の男性が運転する乗用車が母子をはねて死亡させる事故が起きた。
ここ数年、高齢者ドライバーによる事故のニュースが多く報じられているように思える。日本社会が高齢化しているので、単純に高齢者が車を運転するケースが増えているからなのだろうか。ただ、印象的に増えていると感じるだけなのだろうか。道路を逆走したり、アクセルとブレーキを踏み間違えたりというケースも目立つが、これも、昔から同じようにあったのか、近年になって増えたのか、判断する材料をもっていない。
最近は自動ブレーキ機能のついた自動車が出回っているようで、今後、追突事故などは減っていくことになるのだろう。AIによる自動運転がいつごろ実用化されるのかわからないが、科学技術の発展により不幸な事故が少しでも減ってくれればよいと願っている。
自動車による事故のニュースを見るたびに、自動車は便利なものである半面、いつでも凶器になるのだということを思い知らされる。自動車を使ったテロも発生している。
実は、私は自動車の運転免許を持っていない。運転免許がないから、この歳まで自動車を運転したことがない。運転したことがないから、事故のニュースで、例えば「アクセルが戻らなかった」という証言を聞いても、実感として理解できないのがもどかしい。
運転免許は、学生時代に取っておけばよかったのだろうが、その機会を逸してしまった。大学を出てすぐに東京で働き始めたのだが、免許を取る時間もお金もなく、自動車を買い維持するお金もなく、交通網の発達した東京での生活で自動車の必要性を感じることもなく、運転免許のないままこの歳まできてしまった。地方都市で暮らしていたら、運転免許を取っていたかもしれない。
でも、よくよく考えると、なぜ運転免許をとらなかったのかは、また別の理由があるようだ。
先ほど書いたように、自動車は凶器にもなる。運転すれば当然、事故を起こすこともある。人を傷つけたり死亡させることもある。それが、私には耐えられない。自分が自動車にひかれるのはもちろん嫌だが、それよりも自分が運転する自動車で人をひくこと死亡させることはもっと嫌で、絶対に許せない。だから自動車を運転しない。
運転はしないけど自動車に同乗することはよくある。同乗していてわかるのは、自分の性格が自動車の運転に向いていないということ。自動車で走っていると、前を走っている自転車が急に自動車の前に倒れてきたらどうしようとか、路地の交差点で横から自動車が突っ込んできたらどうしようとか、やたらと心配してしまうのだ。また近年、あおり運転なるものも注目されている。こちらがいくら慎重に運転していても、いつ嫌がらせや危険な行為を受けるかわからない。あおり運転のニュースを見ていると恐怖を覚えて運転しようという気持ちにならない。
池袋の事故以降もGW期間から今まで交通事故が多く起こっており犠牲者が何人も出ている。保育園に通う幼い子どもが亡くなる事故もあった。青信号だから、歩道にいるからと安心できない。常に周囲の状況に気をつけなければいけないのだろう。
不幸な事故がひとつでも減ってほしいと願っている。(k)