vol19.志操の人・朴鐘鳴さんを偲ぶ
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人間は言葉、とりわけ先人から受け取った言葉でできている。昨年4月16日、90才で亡くなった朴鐘鳴さんは、私という人間を形作る数々の言葉を下さった一人である。一周忌の今年5月18日、京都市の同志社大で偲ぶ会が催され、私も出席し、発言の機会を頂戴した。
1928年、現在の韓国・光州市に生れた。独立運動で官憲にマークされ、「内地」に逃れた父を追い、5歳の時、母と兄と共に大阪市北部に渡った在日朝鮮人一世である。
初めてお会いしたのは、私が駆け出しの新聞記者だった23年前のこと。鶴橋駅構内の喫茶店で開かれていた朝鮮学校史の研究会だった。痩身にベレー帽、ドラマや映画から飛び出してきた「画家」のような風体で、うまそうに煙草を燻くゆらせながら、鳥の目、虫の目で多角的なコメントをする。今でいえば、頭の中に検索エンジンが入っているような人だった。
写真:中山和弘
なかむら・いるそん●1969年、大阪府生まれ。立命館大学卒業。1995年毎日新聞社に入社。現在フリー。著書に「声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々」(インパクト出版会)、「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」(岩波書店)、「ルポ思想としての朝鮮籍」(岩波書店)などがある。『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)の「映画を通して考える『もう一つの世界』」を連載中。