「マイノリティであることが得」
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今日はイオ8月号の締切。前回のブログで書いた特集、タイトルは「朝鮮学校、みえてますか?」に決定した。この期間、朝鮮学校に対する意識調査的なことをしながら、「こうだ」と思っていた価値観を改めて問い直し、考えや知識、そのものの見方などをアップデートしていかなければいけないと思った。
今日は、朝鮮学校に通う現役の高校生の言葉を紹介しようと思う。
「(SNSを通して投げつけられるヘイト表現に対して)歴史を知っている人はこんな言葉を思いつかない。私たちは日本で生まれ育ったし、社会を構成する一員になっている。『国に帰れよ』とか言われても全く意味がない。間違っているという認識を持ってほしい」
別の方での取材で、「自分が在日朝鮮/韓国人だと知ってはいても、歴史や文化など、自分の中にそれを立証する要素がないと、矛盾や悩みを感じて、時には自分自身を否定することにもつながってしまう」という言葉を聞いたが、この高校生が落ち込みながらも自身の尊厳を否定せずにいられた要因は、まさにルーツを学んだことにあるだろう。
実は高級部へ上がる時に進路について悩んだことがあったという。「中学の頃、あまり周囲に馴染めなくて学校が好きになれなかった」。だが、その後の考え方が面白い。
「朝鮮学校に通ったからそう感じるのか、と考えてみた。自分でもよく分からなかったけど、もしも朝鮮学校が原因でそう感じているのではないとしたら、日本の学校に行っても変わらないんじゃないかと思った」。分からないなら朝高に進んでみよう―、そして今、それなりに楽しい学校生活を送っている。
来年、同校を卒業する。朝鮮学校に通って良かった点について聞くと、「今の社会でマイノリティとして生きることは本当に厳しいことだと思うが、マイノリティとして生きないと見えてこないものがある。日本の学校で育った人とは社会を見る目や視野の広さが違うと思う。自分は朝鮮籍だけど、もともとあまり国籍にこだわりを持っていないので、だったらマジョリティとして生きるよりマイノリティとして生きる方が、自分としては得を感じるというか…」と言って驚かせてくれた。
「でも、そうじゃない人を尊重することも大事だと思う。日本国籍の友達で、『将来は日本人として生きようと思う』と言っている子もいるし。それぞれの考え方があるから。それに日本の社会で日本人として生きていくと言っても、朝鮮学校で学んだことがムダになるわけではないので」…
この言葉は現状の一部を表していると思う。その上で、最後の一言にあらわれているこの子のやさしい眼差しに感動した。誰も排除しない、しかし同胞として同じ社会で生きることを伝えている。また、朝鮮学校がそこにある意味を示唆するようにも感じられた。(理)