vol20.「いま」とは違う、「いま」を~京都の歴史的勝訴から5年
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ナショナリズムを煽り立て、安倍晋三氏が二度目の宰相の座についてから7年近く。私たちは、過去最悪を更新し続ける「いま」を生きている。暗い時代だからこそ先人の闘いに学び、それを誰もが触れられる記録として残したいと願い、私は様々な記録を紐解き、並走した方々に話を聴いてきた。生前、その謦咳に接した幾人かはこの連載でも追悼した。
改めて思うのは、彼らは予め定められた勝利があって立ち上がったのではない、ということだ。「時代の中に状況づけられている」(サルトル)人間として、自らの生きる時代が闘いの「唯一の機会」(同)と「覚悟」し、この国の変わらぬ地金に絶望しながらも、「いま、この世界」とは違う世界を希求する「決断」をしたのだ。自らの尊厳のため、次代に同じ思いをさせないため、そして先人に恥じないため。
5年前の7月、彼、彼女らに連なる闘いが歴史的な結果をもたらした。
京都朝鮮学校襲撃事件の民事訴訟における、大阪高裁での勝訴判決である。この闘いもそうだ。最初から勝ちを確信していたわけではない。白昼堂々、三度の襲撃が看過され、社会への信頼感覚が崩壊したなかで、それでも踏み切った裁判闘争だった。
日本では3例目となる人種差別撤廃条約を援用した認定と1226万円の賠償、そして学校周辺での街宣禁止を勝ち取った京都地裁判決に加え、大阪高裁では日本の裁判史上初めて、朝鮮学校の人格的価値の中枢を「民族教育」と認定し、在日が日本社会で民族教育を行うことを法で守る利益とした。「民族教育権」には届かないが、大きな前進だった。さらには街宣禁止もが維持されたのである。
写真:中山和弘
なかむら・いるそん●1969年、大阪府生まれ。立命館大学卒業。1995年毎日新聞社に入社。現在フリー。著書に「声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々」(インパクト出版会)、「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」(岩波書店)、「ルポ思想としての朝鮮籍」(岩波書店)などがある。『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)の「映画を通して考える『もう一つの世界』」を連載中。