2019年夏を人々はどう振り返るか
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夏休みが終わってまた仕事の日々が始まったが、まだまだ暑い日が続いている。今年の夏は梅雨が長く続き、あまり暑くならないのではないかと期待したが、ここ数年と同じように猛暑となった。
天候以上に私の精神を蝕んだのが、夏に表面化した様々な出来事だった。
一つ、日本は韓国をホワイト国から除外し、韓日関係は最悪の状況に陥っている。
一つ、8月1日から始まった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(愛知県美術館)の中のコーナー「表現の不自由展・その後」が3日には中止に追い込まれた。ヘイト勢力の攻撃を受けたこと、名古屋市長や維新の会の大阪府知事、市長などの抗議によるものだ。
一つ、このブログでも報告されているが、10月からスタートする幼児教育・保育無償化から朝鮮学校幼稚部をはじめ各種学校認可の外国人学校幼児施設だけが除外されようとしている。
この3つの問題について詳しくは書かないが、3つは根っこを同じくするものだ。日本は過去の国家犯罪、朝鮮への侵略と植民地支配を今日まで清算していない。反省もしていないし、国家犯罪を次の世代に伝えようともしていない。歴史修正主義がますます台頭しているのが現状だ。
「表現の不自由展・その後」の中止は、決して「表現の自由」が侵害された問題ではないし、そんなことに矮小化してはいけない。
小池都知事が今年も「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に追悼文を送付しない方針だというが、これも根っこを同じくする問題だ。
日本社会のこのような動きは日本自体を崩壊させるものだと、心から心配している。歴史を振り返るとき、2019年の夏が日本社会にとって大きな意味を持つ日々として記録されるのではないか。(k)
写真は、2015年に東京都練馬区で行われた「表現の不自由展」で展示された「平和の少女像」