作家・温又柔さんインタビュー
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去る8月、作家の温又柔さんにお会いすることができた。温さんは台湾出身の日本語作家。幼い頃に親子で日本に移住し、公立の小中学校、高校、法政大学(のちに大学院)で学んだ。多くの著作名にも表れているとおり、社会や周囲からのカテゴライズ、いくつもの立ち位置や言葉の狭間で揺れながらも、自分自身を見つめ、考え、書き続けてきた方である。
私とちょうど10歳違いで誕生日も近いだけでなく、抱えているテーマや経験の類似性、そして書くことが好きなんだろうなというのが文章から伝わってきて、なんとなく勝手に親近感を持っていたため、インタビューが決まったときは胸が躍った(記事は9月18日発売のイオ10月号に掲載されます)。
例えば、今年5月に発刊された新作『「国語」から旅立って』には以下のような文章がある。
「大丈夫だよ!」
その場にいた一人の男性が断言します。
「名前さえ言わなければ、あなたは日本人にしか見えない。な、みんな。言われなきゃ、ぜったいに外国人ってわかんないよな」
また、それぞれの家庭教育のかたちがあるにも関わらず、「せっかくお母さんが台湾の人なのに、中国語ができないなんて、ユウジュウちゃん、なんだかもったいないわねえ」と何度も繰り返す同級生のお母さんとの一場面…。
まったく同じ境遇ではないにしろ、「言われる側」である私にはその時の心情が想像できた。実際、自分も中学を卒業するまでは朝鮮語が一切できなかった。
向かい合って席に座り、はじめにその部分への感想を伝えた。上のことをふまえて、「温さんの文章は優しいですね」と。相手への想像力を持たない人と接した時の気持ちの描写がとても穏やかなのである。
「私だったらせめて、『目の前で舌打ちしたくなる気持ちをグッとこらえて』とか書いちゃいますよ」とおどけて言うと、「もちろん怒りはありますよー!」との返答が。
「舌打ちしたくなるようなことを、いかにチャーミングに読ませるか。人を貶めようとする人の多くは悪気があるわけではないと思うんです。怒りを怒りのまま書いたとしても、そういう人たちは入口でつまづいてしまう。『優しい感じで言われたけど、なんだかすごく痛いな』、そう感じさせるのが狙いです」と笑った。なるほどそういう表現もあるのか、と目からうろこが落ちた。
在日コリアンからの反響はありますかと聞くと、やはり多いらしい。20代の女性からも以前、「自分たちは温さんほど優しくなれない」という感想をもらったそう。自分“たち”という表現が印象的だったそうだ。
しかし、在日コリアンと向き合ってきちんと話ができたのはここ2~3年のことで、それよりも以前、7~8年ほど前には嫌な思いもしたという。(えっ、なんだろう…)とドキドキする。
きっかけは在日作家・李良枝(1955-1992)。「日本人」と「韓国人」の間で揺れ、その心境を切実に表したかのじょの著作から、温さんは大きな影響を受けた。好きになると語りたくなるもの。当時、温さんは李良枝の作品などについて話せる人がいないかと、在日コリアンの集まりに顔を出したことがある。その場で、「お前になにが分かる」と拒絶されたらしい。
他にも、温さんがデビューしたあと、別の在日コリアンからは「台湾人だから書けたんだ。自分たちの歴史はこんなに軽やかに書けない」と言われ、怒りを通り越して悲しさを覚えたと振り返った。「そういうことを言ってくるのは、みんな“おじさん”でした」とその時は笑っていたが、当時どれほど屈辱的で悔しかっただろうか。
矛盾の多い日本社会で暮らす中で、共通する生きづらさや経験はあるはずなのに…。〇〇人というカテゴリで見られ差別を受けている人たちが、別の場面ではマジョリティになり、〇〇人という理由で他者を排除する。すべての人がそうではないというのは大いに承知の上で、一部にまだそんな人がいるのか、と残念な気持ちになった。
温さんは、文学のよさが「自分以外の人間の存在を感知する能力を高めてくれること」だと話していた。自分と違う人の内面をどれだけ想像できるか、世界の豊かさや、ややこしさをどれだけ自分のものとして理解できるか。
また、「許せなさが自分を狭める」とも。「出会える人が限られている。そのような状況ってなにも生まないと思うんです」。いろいろと胸に刺さる言葉をたくさん語ってくれた。(理)