vol.21 誰にも奪えない権利
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象徴的な意味でいえば在日二世以降の権利運動は、日立就職差別裁判の原告、朴鐘碩さんが、支援報『玄界灘』に박종석と署名したことに始まる。以降、名前を巡る在日の闘いは続いてきた。
先日、自宅に、ある冊子が届いた。『なまえは私のアイデンティティ 当たり前に本名が名乗れる社会を求めて』。職場での通名強制を法廷で問うた在日二世の映像作家、金稔万さん(1960年生)と支援者の闘いの報告集である。事件から10年、敗訴確定から5年目の刊行だ。
金さんは神戸市に生れた。「済州島4・3」を逃れて渡日、長田でケミカルシューズ工場を営んでいた父は、酔うと妻や娘を殴った。「日本で民族名など論外」という父の方針に従い、金さんも幼少から「金海」と名乗り、日本の学校に通った。そんな彼にとって朝鮮は否定の対象だったが、大学時代に同胞組織と出会う。そこで初めて自らの이름(名前)を声に出した。
写真:中山和弘
記者会見で無念の表情を見せる金稔万さん(いずれも大阪市北区で2013年1月30日)