ベルリン五輪の孫基禎とメキシコ五輪の「ブラックパワーサリュート」
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唐突だが、10月9日が何の日だか知っているだろうか。
それを知るには、今から50年前の1968年に開かれたメキシコオリンピックにさかのぼらなくてはいけない。
メキシコ五輪陸上男子200メートル決勝(10月16日)の表彰式で表彰台に立った米国の2人の黒人選手(1位のトミー・スミス選手と3位のジョン・カーロス選手)は米国歌が流れる中、人種差別に抗議の意を表して、うつむいて星条旗から顔を背け、黒の皮手袋をはめた拳を天に突き上げた。「ブラックパワー・サリュート」と称される、五輪史上に残る有名な抗議アクション。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブラックパワー・サリュート
スミスとカーロス両選手はこの示威行為によって米国選手団と選手村から追放されることになる。
そして、2位になったオーストラリアのピーター・ノーマン選手も胸に「人権のためのオリンピックプロジェクト」(OPHR)のバッジをつけて表彰台に立った。黒人選手2人の抗議に共鳴したその行動は、当時、白人優先主義と非白人への排除政策をとっていた自国の豪州で非難の対象となった。ノーマンは2006年に64歳で亡くなるが、存命中はもちろん死去後もしばらく公式に名誉回復がなされることはなかった。
この3人はメキシコ五輪後も親交があった。2006年10月9日、メルボルンで行われたノーマンの葬儀。かれの棺を先頭で担いだのはスミスとカーロスだった。のちに米国陸上競技連盟はこの日を「ピーター・ノーマン・デー」に定めた。以上が、冒頭の「10月9日は何の日」かという問いかけに対する答えだ。
このスミス、カーロスの「ブラックパワー・サリュート」とそれに共感したノーマンの行為が、そこからさらにさかのぼること32年、ナチス・ドイツが開催した1936年のベルリン五輪で起こった「事件」とつながりがあることを最近読んだ本を通じて知った。
ベルリン五輪の男子マラソン競技の表彰式。当時、朝鮮半島を植民地支配していた日本の代表として競技に出場し、アジア勢として初めて金メダルを獲得した孫基禎と3位に入った南昇竜の2人は「君が代」が演奏されるとうつむき、日章旗を仰ぎ見ず、孫は贈られた月桂樹で胸の「日の丸」を隠した。孫基禎さんはのちに、この表彰式は「耐えられない屈辱」だったと書き残している。
68年のメキシコ五輪表彰式でのスミス、カーロス両選手の抗議は36年のベルリン五輪表彰式での孫、南の態度を参考にしたものだと後にカーロス氏が明かしている。今年4月に出版された『評伝 孫基禎―スポーツは国境を越えて心をつなぐ』(寺島善一著、社会評論社)にそのような記述がある。月刊「イオ」8月号で本書の著者にインタビューした際、著者本人がカーロス氏から直接聞いたと言っていた。
本書には、生前の孫基禎さんと親交のあった著者が本人から聞いた言葉や、これまであまり知られてこなかったエピソードなども多く紹介されていて非常に興味深かった。
問題にまみれた東京五輪の開催が来年に迫っている。国威発揚、メダル獲得、莫大な予算にスキャンダル、「オリンピズムの精神」など元からなかったかのような熱狂ぶりだ。「スポーツと政治」がアクチュアルな問題としてあらためて私たちの前に突きつけられている今、この難問を考えるうえでさまざまな示唆を与えてくれる本だと思う。一読をすすめたい。(相)