料理で得る教訓
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引き続き、料理に「チャレンジ」する日々である。自炊を始めて3ヶ月ほど。以前のブログで料理はギャンブルだと書いたが、今は工作のような感覚で楽しんでいる。
材料を切るにも色々な方法があったり、ものによって包丁を伝わってくる感触が固かったり柔らかかったり。他にも混ぜたり、つぶしたり、さいたり、重ねたり。加えて調味料の組み合わせで味が変わるのも面白い。
最近は、作ってみたいレシピをネットや雑誌で探すことが習慣になった。定番からアレンジもの、さらには創作系まで様々あるなかで、「いけそう」と思ったものを作っている。
もちろん毎回上手に作れるはずもなく、「いい感じ」と「いまいち…」の繰り返しだ。
例えばこれ。
連載「2世とつくる朝鮮料理」でお馴染み、日刊イオでもたびたび話題に出る高さんのレシピ。
ちょうど頂きものの魚があったので作ってみることに。
(※写真が横になりました)
レシピの写真に比べてまったく写真映えしない感じになったのと、味が中まで染みていない&魚の臭いが残った感じがして自分的には「いまいち」の出来だった。
本から見つけたこのズッキーニのパスタは美味しくできたが、見た目がいまいち。
最近よく見るサイトのレシピコーナーで見つけたこのレシピはとても美味しくできて、文句なしで「いい感じ」だった。
(※また写真が横になりました)
同じサイトで見つけ、材料の組み合わせが最高で作りたくなったこちら。
本来はこのように綺麗に焼ける。しかしこの時は
大失敗。
豚肉の巻き終わりがくっつかず、べろべろ剥がれてしまった。はじめはあたふたしたもののどうにもならず、笑うしかないので最後はニヤニヤしながら爪楊枝で無理やり固定して仕上げた。
原因は分かっていて、一言で言うとズボラ精神である。豚肉より茄子の縦幅の方が長く、きちんと切ればいいのに「まあどうにかなるっしょ」と横着してそのまま焼き始めた結果、案の定だった。
肉が剥がれてきたときは焦りながらも、一方で「やっぱりな」という諦めもあった。料理において、いや恐らく何事においても「まあどうにかなるっしょ」という感覚は危険なのだということを実感した。
今日は別のサイトで見つけたこれを作る予定だ。教訓を生かし、成功させたい。(理)