自分にとってのプラス
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「ウリ幼稚園はチョソンサラム(朝鮮人)としての土台を作ってくれる。そこに英語や水泳教室などがあったり。プラスアルファがいっぱいだよ!と伝えたいです」
以前、朝鮮幼稚班の取材に行った際、園児のオモニから聞いた言葉だ。その時はポジティブな話しぶりに「なるほど~」と頷いていたが、後日ふと考えてみると、自分にとっては逆かもしれないな、と思った。私は中学校まで地元にある日本の公立学校に通っており、高級部から朝鮮学校に編入した。自分の名前、在日朝鮮人という存在と、あといくつかの朝鮮語(アッパ、オンマ、アンニョンハシムニカなど)は知っていたものの、それだけだった。
朝鮮学校では、日本の学校にもある科目を習いつつ、これまで知ることのできなかった朝鮮の言葉、歌、地理、歴史などを学んだ。他にも、朝鮮学校という同胞社会を通して、在日朝鮮人としての社会の見方や感じ方―ひとことで言うと“立場性”を身につけることができた。私の人生にとっては、朝鮮学校で当然になされていることの方こそが「プラスアルファ」だった。
せっかくなので、朝鮮学校へ通ったことによって私の人生にもたらされたもの(日本の学校に通っていたら身につかなかったかもしれないもの)を考えていくつか挙げてみたい。
・朝鮮語を話し、理解することができる
特別な努力をしなくても北南朝鮮の人々と話せたことはとても嬉しい経験だった。初めて話したときは不安だったのと、実際に伝わりにくい言葉はあったものの、慣れてくればその土地に根づいた言い回しなどが肌感覚で分かってくる。「朝鮮学校のウリマルは使えない」というのはもうよく聞いた言葉だが、実体験としてまったくそんなことはない。日本語の表現が混ざってしまうなど、間違った言葉は確かによく耳にする。しかし、常用語が日本語ながら集中的に朝鮮語を学習し、生活の中で活かす習慣や環境は、文脈を読む力というか、柔軟だったり勘のいい言語感覚を育んでくれるのでは、と思っている。(また、一時期はその土地の話し方に似せようとしたこともあったが、今は無理せずありのままでもいいかなと個人的に思うようになった)
・自分の存在を否定しないで済む
私の小・中学生時代には「ヘイトスピーチ」という言葉がなく、今よりもSNSが発達していなかったため、直接的な差別を被ったり目にすることがなかった(気づいていなかっただけかもしれないが)。しかし、もしも生まれた時代が違っていたら。もし私がルーツを自覚しながらも日本の学校に通い続けていて、日常で不意に「朝鮮人は死ね」「やっぱり韓国人は嘘つきだ」などの言葉を目にしたら、ショックで心臓が止まっていると思う。同じルーツを持つ家族にはその瞬間の感情を話すことができるだろうか。歴史を知らなければ、そういった無責任な差別発言を否定する前に、自分の存在自体に否定の矢印が向いてしまう恐れもある。私は文章を書くことで気持ちや考えを整理するタイプだけれども、こんなことがあれば混乱してしまって、「おかしい」という気持ちすら頭の中で言語化することができないかもしれない。
いま、数々のヘイトスピーチに、それでも冷静さを持って目を通すことができるのは、それらが「間違っている」ということを、まず朝鮮学校でさまざまな人や活動を通して教わったからだと思う。孤独さとも無縁だった。自分たちに投げかけられる言葉は正しくないと当たり前に思える心の土台を作ってくれるから、その後も引き続き学んだりすることで次第に反論する言葉も獲得していく。
他にも色々あるかもしれないが、長いのでこれまでにしておく。
最近、来年度イオの内容を決める会議にようやく一区切りがついた。「私と民族教育」(仮)という新連載も始まる予定だ。さまざまな同胞たち、それぞれにとっての「民族教育/朝鮮学校とは」を聞くという趣旨の企画である。そこでもどのような話が聞けるのか楽しみだ。(理)