12月号は朝鮮幼稚園の特集です
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12月号の月刊イオの特集は、朝鮮幼稚園についてです。
幼保無償化制度は、朝鮮幼稚園をはじめとする外国人学校幼児教育施設、ハンディを持つ子どもたちが通う幼稚園類似施設を外したまま、10月1日から施行されました。
幼保無償化は、制度設計自体がテキトーで、制度が始まってからも、「便乗値上げがひどい」など各方面から意見が出てきていますが、取材しながら強く感じることは3点。
①日本政府は、日本に外国籍の子どもがこれほど増えても、かれらを、学ぶ権利を持つ主体とはとらえていない
※その証しとして朝鮮幼稚園などに対して、ヒアリングもしていない。「各種学校は対象にならない」と保育とは関係のない理屈を持ち出し制度からはじいている。
②教育産業を金儲けの手段として考えている
※うたっている理念と制度がちぐはくで、保育の「中身」をよくすることには関心がなく、お金をばら撒いているだけ!怒
③日本社会で、朝鮮幼稚園の存在と歴史がまったく知られていない―。
編集部では、9月から福岡、広島、大阪、埼玉、東京の朝鮮幼稚班(園)を訪ね、朝鮮幼稚園の独自性と日本の保育園や幼稚園に共通する普遍性について取材を重ねています。
「三つ子魂百まで」ということわざがありますが、朝鮮幼稚園の子どもたちは、幼いころからウリマルやウリ文化に親しむことで、コリアンとして生まれた自分を自然に肯定できるようになる、と感じます。日本の保育園と違い、少人数のクラスで目が行き届くのもいいですね。
私は仕事上、子どもを朝鮮幼稚園に預けることはできませんでしたが、取材しながら、過去に子どもたちが発した言葉が浮かびました。
8歳になる二男が朝鮮初級学校に進学したてのころ、「オンマ、◯◯◯は日本人じゃなかったんだね」と驚きながら話していたことがありました。長男も1年生のころ、公園で近所の子どもたちと遊び、帰宅するやいなや、「オンマ、チョソンサラム(朝鮮人)ってどう探せばいいの?」。子どもは育つ過程で、自分自身が他人(マジョリティ)と違うルーツを持つことを少しずつ感じ、疑問に思い、自問自答していくことに、気づかされた言葉です。
何を言いたいかというと、3歳くらいになると自我が芽生えはじめ、自分自身をみつめるようになる。ありのままの自分を受け止めることが、子どもにとってどんなに大切か、をユチバンの取材を通じて再認識しています。
1950年に愛知県で生まれた朝鮮幼稚園は、60年代、70年代に各地で続々と生まれます。詳しくは2019年11月号の「朝鮮学校百物語」に書きました。
朝鮮幼稚園の歴史については、鶴見朝鮮幼稚園の徐怜愛さんにアドバイスを受けながら、70年代から教員を務めた女性たちへの聞き取りを続けています。
ユチバンの歴史を刻んできた女性教員たちの話は、涙なしには聞くことができませんでした。幼児教育への無理解に苦しみながらも、無から有を生み出したパワーの源は、子どもたちの存在だったと語る女性たち。日本各地に埋もれた女性たちの歴史を、もっと掘り起こしたいと思いました。
特集では、現在、日本各地に41ある朝鮮幼稚班を支える教員たちや、子どもたちの姿をふんだんに紹介します。
締め切りまで残りわずかですが、各地の頑張りを凝縮するような一冊にしたいと思っています。(瑛)