「未来に恥じない公正な判決を」―広島朝鮮高校無償化裁判控訴審、朝鮮学園理事長・元生徒が涙の訴え
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既報のように、国が朝鮮高校を高校無償化・就学支援金支給制度の適用対象から外したのは違法として、広島朝鮮初中高級学校を運営する学校法人広島朝鮮学園と同校卒業生らが国に対して処分の取り消しや損害賠償などを求めた訴訟(以下、広島無償化裁判)の控訴審が6月12日の第9回口頭弁論期日をもって結審した。
13日のエントリは、控訴人側(訴訟の原告である広島朝鮮学園および広島朝鮮初中高級学校卒業生)が提出した準備書面の内容や控訴人側代理人の意見陳述を中心に記事を展開したが、今回は前回のエントリで盛り込めなかった控訴人2名(広島朝鮮学園の金英雄理事長と元生徒)の意見陳述の要旨を掲載する。
両名の発言とも、自らの思いのたけをぶつけた、言葉の端々に力が宿った発言だった。
【広島朝鮮学園理事長】
2010年に高校無償化制度が施行され、10年が過ぎた。この間、広島朝鮮初中高級学校から236名の生徒たちが制度の適用を受けられずに卒業していった。
生徒たちは街頭宣伝に立ち、裁判の傍聴も勉強やクラブ活動が一時的にストップしてでも、自分たちと後輩たちのために積極的に参加してきた。
保護者も、仕事を調整し、収入が減ろうとも子どもたちの教育権を守るためにこの8年間、裁判を頑張ってきた。
国が朝鮮学校を高校無償化から外したせいで、広島県・広島市は20年間も続けて支給してきた教育助成金を不支給にした。無償化不適用と助成金不支給による授業料引き上げによって、2重3重の負担が保護者たちにのしかかっている。それでも子どもを朝鮮学校に通わせているのは、民族心、アイデンティティを培い、日本社会、国際社会に朝鮮人としての自覚をもって羽ばたいていってほしいから。には経済難によって本校高級部への進学を断念した生徒もいる。
日本国憲法26条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」、また教育基本法には「教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、…他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」とうたっている。これは個々の学校選択にも当然当てはまるものと思われる。しかし朝鮮学校への進学のみ、「能力に応じた学問の自由」が尊重されず、今も昔も差別を受けている。
今回、特別定額給付金事業が実施されることになったが、私たち在日同胞は当初この給付金からも除外されるのではないかと危惧した。今まで日本におけるすべて国民という文面に惑わされていた思いがあるので、外国人は対象になるのかならないのか、とりあえず法制度の成立を見守った。
結果は外国人にも実施されるとのことで、一安心した思いがつい最近あった。ではなぜこのような思いが生まれたのか。それは過去70年以上も続く民族差別によるものだ。
コロナ関連で「学びの継続」をうたい日本政府が創設した「学生支援緊急給付金」では朝鮮大学校をはじめとする外国人学校は対象外とされ、外国人に対しては一部留学生だけに支給される方向で進んでいる。
特別定額給付金は住民基本台帳に記録されている全員に、高校無償化は朝鮮学校を除くすべての高校生に支給される。そもそも高校無償化は生徒個々に与えられるものであり、学校選択は関係ないはずだ。高校生となる生徒の就学支援のための制度が学校選択によって不利益を被ることがあってはならない。
われわれ在日朝鮮人は、学校選択に対して祖国解放後75年経った今でも差別を受け、植民地時代と同じように日本政府の機嫌をうかがわなくてはいけないのか。
【元生徒】
広島朝鮮初中高級学校を卒業後、朝鮮大学校に進学。同大卒業後から現在にいたるまで、母校の広島朝鮮初中高級学校で教員をしている。
私は、朝鮮学校に通う子どもたちの日常はとても平凡でありながら特別だと思っている。それは、私たちが民族教育を受ける過程そのものが「私自身を知る」過程だからだ。
幼い頃から朝鮮学校に通った私は、朝鮮語、朝鮮の歴史、朝鮮の踊り、朝鮮の歌を「ウリ(私たち)のもの」として習った。物心つく前から気づけば朝鮮学校にいて、当たり前のように「ウリハッキョ(朝鮮学校)」に通っていた。まるで、種を植え、水を与えるように自国の言葉や文化、歴史、ルーツを学ぶ場を与えてくれた民族教育。それを受けながら私は自分のルーツについて知り、自分自身を認め、愛するようになった。
朝鮮学校というシェルターに守られて育った私は、朝鮮人に対する差別を歴史の話、どこか遠い話と思っていた。今この時代に、私が生まれ育った国や大人が、私たちを差別するということなど、まさか私がその差別の「当事者」になることなどは想像もしていなかった。しかし、私のそんな考えは真正面から砕かれた。
高級部1年生になって、「高校無償化制度というものが施行される」「朝鮮学校も対象だ」という知らせを聞いた。私の家は経済的に余裕がなかったため、当時、私は勉強、部活とともにアルバイトまでしていた。無償化制度の話が出た時、親の負担が少し軽くなるのでは、という期待を抱いた。
しかし、日本政府は朝鮮学校にも無償化を適用するという立場を一転、朝鮮学校だけ除外した。「すべての子どもに学ぶ権利を」という理念で作られた高校無償化制度。その「すべての子ども」から朝鮮学校の生徒であった私は外された。日本政府はいろんな理屈で除外について説明してきたが、まったく納得できるものではなかった。政治と教育は結び付けて考えるものではないと言いながらも、除外の理由として朝鮮民主主義人民共和国との関係を持ち出したり、「すべての子どもが学びの機会を得られるよう」とうたいながらも、朝鮮学校の生徒だけ除外したり、しまいには朝鮮学校もこの制度の対象であるという根拠になる条文を削除したり。高校生であった私の目の前で、信じられないことが次々と起きた。
それから私たち生徒は街頭に立ってビラを配り、署名も集めた。しかし、人びとの反応は冷淡だった。無視をしたり、少し小ばかにして笑ったり、受け取ったビラをわざと目の前でくしゃくしゃに丸めて捨てた人もいた。しまいには、「なぜ自分たちが払った税金を朝鮮人に払わなければいけないのか。そんなにいやなら帰ればいい」という心ないことも言われた。私たち在日朝鮮人も日本人と等しく税金を払っているのに、わかってもらえないことが悔しくてたまらなかった。
どんな人にも自分らしく生きる権利がある。人が自分らしく生きることを否定していい人などどこにもいない。
朝鮮学校が無償化の対象から除外され、経済的な被害ももちろんある。しかし私にとっては、自身のルーツを知る学びの場を認めてもらえず、朝鮮人として生きることを否定されたというショックが大きな心の傷となっている。
私たち大人は、子どもたちに「自分と違うものを排除する姿」ではなく、「違いを認め、尊重し合う姿」を見せなくてはいけない。私自身がそうであったように、これから育っていく在日朝鮮人の子どもたちが自分のルーツを知り、認め、愛するようになるためには民族教育が必要不可欠だ。朝鮮学校には今日も一生懸命学んでいる生徒がいる。私は、これから未来を作っていく子どもたちに今日のことをしっかり伝えたいと思う。
未来に恥ずかしくない公正な判決をお願いします。
(相)
広島朝鮮学園理事長と元生徒さんの発言を読ませていただき、改めて日本政府の朝鮮人と朝鮮の学生たちへの差別の根源を認識することができました。
朝鮮学校無償化除外は在日朝鮮人には差別しても良いんだよと言う恐ろしい考えを国が公言し、広島、大阪を始め多くの自治体が追随するという恐ろしくも許せない構図を作りました。
でも私たちは引き下がるわけにはいきません。それは滅亡を意味するからです。いかなる状況になろうとも心を1つにし最後の最後まで「お願い」ではなく当然な権利を要請していきたいと思います。このたたかいは、私たちのこれから、未来ある子どもたちの運命を左右するものだと思います。最後まで正義は勝利すると信じて前進したいと思います。勇気と元気を下さった素晴らしい発言をありがとうございます。
ニョニョ様、コメントありがとうございます。私たちも今後ともメディアとしての役割を果たしていきたいと思います。