「祖国と自分」を読んで
広告
ここ数日、日本体育大学女子サッカー部・日体大fields横浜のnoteにアップされたエッセイが拡散されている。
大阪朝鮮高級学校出身、サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表の李誠雅選手が書いた記事だ。
かのじょが少し「勇気」を出して、自身について綴った記事は、シンプルな言葉ながら、まっすぐで、力強い。2011年にFIFA女子ワールドカップで優勝した、なでしこジャパンを見ていた時の競争心や、周りの人に抱くリスペクトから、かのじょの誠実さ、スポーツマンシップを感じた。
少し話が逸れるが、母の仕事柄、幼いころからスポーツ観戦をよくした。とりわけサッカーを見る機会が多く、在日のサッカー選手は、少しだけ近い存在でもあり、憧れの存在でもあった。私が小学生の頃は、部活でも女子サッカーという選択肢はなく、「女の子はサッカーできないんだな」となんとなく感じて、バスケ部に入った。
そしてサッカー少年たちがサッカー選手になりたい!と言うように、私も「バスケの選手になりたい!」と本気で思っていた頃があった。笑
だんだん自身の実力を悟り、年を重ねるにつれ(わりと早い段階で)バスケの選手という夢は自然と薄れていったが、いまだにアスリートの言葉や哲学に強く惹かれるし、突き動かされる。
李選手はエッセイで、「なにも学ばずに『李誠雅』という名前や国籍だけ朝鮮人で、『中身』を学んでいなかったらすでに負けていて、それこそもったいない人生を送っていたと思います。私が思う『もったいない人生』とは在日朝鮮人としての存在意義を認識せず生きることです」と書いていた。
スポーツに国境はないというが、在日のアスリートは(アスリートに限らずだが)、朝鮮か韓国か、時には日本かを迫られる時がある。自分の国で育ち、国家代表になった人とは違うものを背負い、葛藤も多いはず。それでも胸を張って、在日朝鮮人として活躍する選手をこれからも心の底から応援したい。
(蘭)