【イオ ニュース PICK UP】“アフター裁判”を展望する~愛知無償化裁判総括集会
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約7年8ヵ月におよぶ愛知無償化裁判を振り返る総括集会が11月12日、ウインク愛知で行われた(主催=朝鮮学校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知 ※以下、無償化ネット愛知)。集会のようすはオンラインで配信され、会場参加のほかに日本各地から多くの同胞、支援者が関心を寄せた。
はじめに無償化ネット愛知の原科浩共同代表があいさつに立った。原科共同代表は、闘いが新たなステージに入ったとした上で、この期間に勝ち得たものと乗り越えるべき課題を改めて確認しこれからにつなげようと呼びかけた。
続いて、無償化制度から朝鮮学校が除外された2010年以降、愛知でどのような運動を続けてきたのかをまとめた映像が上映された。映像では、無償化ネット愛知の名称を「民族教育の未来をともにつくるネットワーク愛知・ととりの会」に変更し、朝鮮学校の人々とともに民族教育の未来をつくる活動を展開していくと伝えられた。
●10年の歳月を振り返り
その後、愛知無償化弁護団の内河惠一弁護団長が発言した。
「最高裁での敗訴はとても悔しく残念だ。しかし国を相手にしたことで、裁判に負けてもその効果はとても大きなものがある。また、こんなに事実の捉え方が勝手で説得力のない判決を見ると、いかに司法が役割を果たしていないかがよく分かり、次の力になる動機づけをもらった。
この空気を支えているものはなんだろうか、ということを考えていくべき。なかなか裁判や一つの活動で打ち砕くことは難しい。思うようにいかない、そういう社会を、私たちは皆さん方とともに歩いている。これまでの裁判の経験を力にして、なんとか力を出し合って社会を変えていきましょう」
弁護団の事務局長を務めた裵明玉弁護士は、朝鮮学校が無償化制度から除外される話が持ち上がった2010年以降の歳月を振り返りながら、朝鮮学校のいち卒業生としても思いをのべた。
裵弁護士は、無償化制度からの朝鮮学校除外は「教育基本法16条1項の『不当な支配』を理由に、一部の外国人学校についてのみ教育内容を媒介として“民族団体との関係性に違法の疑いあり”と認定し、教育支援制度から除外した初めてのケースだった」と説明。
また、愛知では判決も含めると30回以上の裁判期日が持たれ、全国5ヵ所の無償化裁判で唯一、朝鮮高校に対する不指定処分の理由が「省令ハ」の削除であると認められたにもかかわらず、その違法性については判断を避けられたことへの悔しさと怒りをのべた。
一方で、裁判を通して日本の識者、専門家、支援者とつながれたこと、南でも同胞たちが朝鮮学校の苦境に主体的に向き合う流れができてきたこと、そして文部科学省の元官僚でありながら声を上げる人も出てきたことに言及し、「それは裁判があったからだ」と話した。
「原告が大変な恐怖と闘いながら決意して裁判に立ち上がった、そして多くの人たちが支えた7年8ヵ月の闘争は間違いなく朝鮮学校の未来に橋を架けたと思う」。
●乗り越えるべき課題はなにか
無償化ネット愛知の事務局長や共同代表を務めた山本かほりさんは、「10年間の『支援』を振り返って」というタイトルで発表。導入として、最高裁上告棄却の知らせを受けた時に表現できない無力感を感じたこと、私たち自身が自分たちの中にある課題とうまく向き合えず、乗り越えられなかったのではないかという問題意識を共有した。
山本さんは、上告棄却後に無償化ネット愛知が出した声明文も引用しながら、私たちが今いちど考えるべきなのは、日本社会に生きる私たちに染みついた「北朝鮮」に対する眼差しだと発言。裁判所は「北朝鮮」を悪魔化する見方から自由になれず、マスメディアも「権利論なき擁護論」しか展開できなかったことに言及した。
例:2018年9月27日の大阪高裁判決あとに出た北海道新聞の社説
「子どもに民族教育を受ける権利を保障するのは国際的な流れだ。これを守るため、朝鮮学校も一層運営見直しを進めるべきだ。生徒の救済を第一に、国と朝鮮学校の双方に努力を求めたい」
このような社会状況を受けて、支援者も、ときに当事者も、朝鮮学校と総聯/朝鮮民主主義人民共和国との関係を歴史に迂回させて話すなど、「どうして関係があることがよくないのか」を正面から問いただし続けることができなかったのではないかと問題提起した。
山本さんは、このような問いなしでは無償化排除という差別問題の根本を⾒ることができないとしながら、判決が突きつけてきた課題に向き合いつつ、これからもともに活動していくことを表明した。
●5人それぞれの「裁判闘争」
続いて、対談が行われ、5人の登壇者が無償化除外からの10年間を振り返った。
弁護団の仲松大樹弁護士は、当初は自分自身も、朝鮮学校と民族・国との関係性について理解することが難しかったが、何度も何度も話を聞く過程で、ようやく「選択するでもなく朝鮮人であるということ、朝鮮人だから朝鮮学校に通っていること、それがないがしろにされたら自分事として辛いこと」といった当事者の思いがストンと胸に落ちたと話した。裁判所には伝わり切らなかったが、何べんも何べんも伝え続けることが大切なのではないかと意見をのべた。
愛知中高オモニ会の姜順恵会長は、「上告棄却という結果で終わったが、日本社会には“差別を認めた恥ずかしい記録”として残ると思った」と怒りを伝えながら、「無償化問題は終わったわけではない。これからの高級部生は裁判を直接には経験していない世代なので、まずはこれまでの10年を知って学ぶこと、伝えること、それが次の動きにつながっていく行動だと思う。今からまた10年、さらに10年を見据えながら、先代のオモニ会会長たちから受け継いだバトンをつないでいきたい」と話した。
愛知中高の教員をしている劉京美さんは、2010年3月に同校を卒業した。「まさか10年後まで生徒たちにこんな思いをさせるとは、子どもたちが泣いている姿を教員として見ることになるとは思ってもみなかった」としながら、「無力さや申し訳なさを感じるが、ウリハッキョで得た素晴らしいものを守り、教員としてできることを考えていきたい」と締めた。
2011年に愛知中高を卒業した朴鐘勲さんは、「これほど、在日朝鮮人としての自分と、それを与えてくれたウリハッキョという場所に向き合ったことはこれまでなかった」と発言。「裁判は終わったが、幼保無償化、コロナ禍の処遇など民族教育への差別は続いている。もう一歩広い視野で、長い目で見た時に、裁判闘争は絶対的な経験値になった。辛い期間ではあったが、1、2世たちがそうしてきたように、自分たちの力で民族教育、同胞社会を守るための闘いができた」。
自身は日本の学校に通った陳聖華さんは、「日本社会はこの10年間、もっと言うと朝鮮を植民地にした時代から変わっていない。1、2世のときから、在日朝鮮人は奪われたものを取り戻すために闘ってきた。さまざまなものを獲得してきたが、日本政府の方から自ら過ちを認めて権利を回復したことは一度もない。みんなが傷ついたり涙するのを見ると、いつまで続くんだろうという苦しい気持ちもある」と話した。関わりを深めながら朝鮮学校を見つめてきた陳さんは、これからも「ウリハッキョ」のために闘いを続ける決意を伝えた。
●“今日からまた、ともに”
集会では、朝鮮半島の北と南から送られた連帯のメッセージが朗読されたあと、会場からの発言もあった。
在日朝鮮人人権協会事務局の文時弘さんは、「私が確認しておきたいのは、この裁判は日本政府の在り方を問う裁判であって、日本政府が朝鮮学校の在り方を問い、それに私たちが弁明するものではないということだ。
『反北朝鮮』の立場が正しいことであるかのような日本社会の空気の中で、朝鮮学校は“弁明する”立場に追い込まれ、主張もどこかよそいきな言葉になってしまっている部分がある。『(朝鮮と関係があることの)なにがいけないのか?』という、私たち自身の、本当の声が曖昧になっているのではないか。これは今後、運動を展開する上でも重要な課題になっていると思う」と話した。
ジャーナリストの中村一成さんはビデオメッセージで、「過去は変えられる」「進歩とはあらかじめ用意されて与えられるものではない。進歩とは闘争を通じて結束した者たちの想像力の産物である」という二つの言葉を引用。自由で平等で抑圧のない社会を願って団結を呼びかけた。
大阪中高オモニ会の高己蓮さんは、「私が一番大事に思い、子どもたちに伝えたいのは、たくさんのかけがえのない人たちとの出会い。10年前は知る由もなかった山本先生との出会いも無償化裁判を通して得られたものだ」と話したあと、2017年7月28日の大阪地裁での歴史的勝利を振り返った。
高さんは、今は亡き大村淳さんが当時こぼした感想—「嬉しい。司法の良心が生きてた。たまには人生いいことあるなあ。これは闇のような日本の中に灯した明かりです。この明かりが広がって、いい日本になるといいですね」―を口にしながら、「差別や偏見ではなく、夢や希望に満ち溢れた社会を一緒に作っていきましょう。今日からまた、ともに作り上げていきましょう!」とエールを送った。
最後に、弁護団の中谷雄二弁護士が発言した。「差別をなくす闘いや権利を守る闘いに終わりはない。上告棄却されたからといって諦める必要は全然ない。過去に、最高裁で負けたが、その後に訴えていたことを実現した闘いがある。思想差別によって三菱樹脂に採用されなかった高野達男さんという人がいる。ずっと闘い続けて最高裁で敗訴したが、かれはその後、国連で人権規約委員会などに訴え、国内でも運動する過程で、敗訴を乗り越えて三菱樹脂に復職を勝ち取った。
社会状況は違えど、私たちはそういう闘いも知っている。さまざまな闘い方を工夫して、この裁判を乗り越えるような運動をこれからもしていこう」。(文・写真:黄理愛)