尾道での出会い
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広島県・尾道での3日間の取材を終え、東京に帰ってきました。
初日は、広島県のシネマ尾道で、堀潤監督が撮影した「わたしは分断を許さない」を観覧した後、堀監督とウーマンラッシュアワーの村本大輔さんとのトークショーを取材。
海と山に囲まれた尾道は、映画監督・大林宜彦さんの「尾道3部作」の舞台としても知られ、近年観光客でにぎわいを見せています。駅前にあるシネマ尾道は、市内に唯一のミニシアターで、個性ある作品を上映し続けています。12年前から映画館を切り盛りする女性支配人さんとの出会いも温かく刺激的なものでした。
2日目からは、来年度から始まるグラビアの撮影で、同胞たちが集まって暮らしていたという海辺や、坂道の多い尾道の街を見て回りました。
3日目は、尾道港から船に乗って瀬戸田港(生口島)へ。
平山郁夫美術館を訪れるためです。平山画伯は、1997年にユネスコ調査団団長として初めて朝鮮の高句麗古墳の壁画の調査を行った方です。
高句麗壁画は、日本の高句麗古墳やキトラ古墳などに通じる貴重な文化遺産で、平山さんらの尽力により、2004年ユネスコの文化遺産に登録されました。
平山画伯が幼少期から描いてきた日常や故郷の風景、紛争や戦争で破壊された文化財を後世に残すため、世界各地を訪れながら描いた少女の絵や文化遺産の数々…。朝鮮と日本をつないだ一人の画家の足跡をたどることができる素敵な美術館でした。
地方都市に出張に出るのは久しぶりでしたが、世代交代が進むなか、地域史に目を向けることで湧いてきた思いがありました。
日本列島の各地には、同胞たちが暮らしています。
その1世たちが、いつ、どういう経緯で日本に渡ってきたのか。その地でどのように生計を立て、同胞コミュニティを築いてきたのか。現地の方々は知っていても、埋もれている地域史がたくさんある、このあゆみを記憶に、文章にとどめたいという思いに駆られたのです。
そのような意味で、尾道の歴史を知る数少ない2世の一人・河洋一さんとの出会いは、この旅で一番印象的でした。
1世のアボジのスクラップの仕事を17歳から始めた河さん。30数年前に金属製作所を立ちあげ、お連れ合いと5人の子どもを育てあげた河さんは、12月1日に広島で行われる金剛山歌劇団の公演についても、話を聞かせてくれました。
5人のお子さんは、個性あふれる活躍をされていて、東京で活躍する末っ子の娘さんの映像作品を河さんの自宅で見せていただいたことも、うれしいサプライズでした。
尾道の同胞たちは、河さんのご自宅の1階に月に1度、集まっているそうです。小さいながら、続けられているコミュニティの場で、トンポたちはどのように笑い、語らっているのでしょうか。
いつの日か、また訪れたい―。取材にご協力いただいた方々を思い浮かべながら、再訪の日を夢見ています。(瑛)