ウイルス感染からの回復者を排除する社会~映画『CURED キュアード』を観て
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新型コロナウイルス感染症拡大の「第3波」がきている。それにともない、病院関係者やその子どもへのいじめ、保育所での預かり拒否、クラスターが発生した施設に対する誹謗中傷、感染者の個人情報の拡散、はたまた感染を理由にした雇い止めなど深刻な人権侵害も起こっている。電車内で隣の人が咳をしただけで暴行事件にまで発展してしまう殺伐とした世の中だ。
新型コロナウイルス感染症から復帰した「元感染者」に対する差別やヘイトが生まれるこの社会について考えるうえでうってつけの映画が『CURED キュアード』(2017年、アイルランド・フランス合作)だ。ゾンビウイルスのパンデミックが収束した後の世界を舞台に、ウイルス感染から回復した人々が社会からの排除に苦悩する姿を描いた。ゾンビウイルスに感染した人間が理性を取り戻して社会復帰したらどうなるのか―。ゾンビ・パンデミック映画の王道からは外れているが、その秀逸な設定によって一見の価値ある作品に仕上がっている。
3年前の映画だが、日本公開はWHOが新型コロナウイルス感染症にパンデミックを宣言した今年3月。新型コロナウイルスのパニックが世界中に広がる中、期せずしてタイムリーな作品となったが、映画館の営業自粛によって劇場公開の期間は短かった。上映期間中に劇場で鑑賞できた筆者は幸運だったのかもしれない。
感染するとたちまち凶暴化し、無差別に他人を襲うメイズ・ウイルスが欧州で蔓延してから6年後、被害がとくに甚大だったアイルランドが映画の舞台。メイズ・ウイルスの画期的な治療法が確立され、社会はようやく秩序を取り戻そうとしていた。全感染者のうちの75%は「回復者」となった。一方、治療効果が見られない残りの25%は軍が厳重に管理する隔離施設に収容されている。回復者らは徐々に社会復帰を果たすことになるが、かれらは感染中の頃の記憶が残っていて、PTSDに悩まされている。
そんな中、回復者の一人である本作の主人公セナンも社会復帰の日を迎え、パンデミックで夫を失ったシングルマザーで義姉のアビーのもとに身を寄せることになった。感染パニックのさなか、狂暴化した感染者に夫のルークを殺されたアビーは、深い喪失感に囚われながらも一人息子のキリアンとともにセナンを優しく迎え入れる。一方、セナンは感染者だった時のおぞましい記憶のフラッシュバックに苦しんでいた。アビーの夫ルークを殺したのは、なんとルークの実の弟であるセナンだったのだ。そんな残酷な真実をアビーに打ち明けられず、罪悪感に苛まれるセナン。
回復者の社会復帰にともなって、社会の中には軋轢が生じていた。ウイルスに感染したことのない人々は「回復者たちが社会に出てくれば、またしてもウイルスが流行するのではないか」と騒ぎ始める。非感染者の多くは回復者の社会復帰を懸念し、街ではかれらを恐れる市民が激しい抗議デモを行う。回復者を危険な存在とみなし、排除をもくろむ人々による、回復者たちをターゲットにした襲撃事件も相次ぐ。セナンを受け入れたアビーの自宅も嫌がらせを受ける。
身の危険を感じた回復者のグループは密かに集会を催し、自分たちを虐げる社会への不満をぶちまけ合う。グループのリーダーは元弁護士のコナーだ。コナーは隔離施設で行動をともにしていたセナンをグループに引き入れようとする。一度は仲間に加わるセナンだったが、結局はコナーとの決別を選択する。
回復者グループは社会に対する大規模な実力行使を計画。グループのメンバーらが職員になりすまして隔離施設に侵入し、感染者たちを檻から解き放つ。街にあふれ出した感染者の群れが市民に襲いかかった。阿鼻叫喚のパニックのなか、セナンはキリアンを助けるため、かれが通う学校へ向かう。しかし、その行く手には無数の危険が待ち構えていた―。
一度ゾンビになったら二度と元の姿には戻れないというのが、ゾンビ映画の「ルール」だ。しかし本作はその「お約束」を破り、ゾンビ状態が治療可能なものとして描かれる。感染して人を噛み殺したゾンビが治療によって再び人間性を取り戻すという設定は斬新だと感じた。
回復は喜ばしいことである一方で、ゾンビから人間に戻れたことで発生する問題もある。人間に戻った後もゾンビだった時の記憶が残り続けるのだ。回復者たちはことあるごとにゾンビ時代がフラッシュバックし、それが原因でPTSDを発症してしまう。回復者たちを受け入れる側にも葛藤や苦しみがある。自分の大切な人を殺した回復者に対しての恨みは消えないし、再発への不安を完全に払しょくすることも難しいだろう。
回復者たちの境遇にも既視感がある。せっかく回復したのに、清掃業や感染者をみる医療スタッフといった限定された職にしか就けず、不自由で抑圧された暮らしを余儀なくされている。理解者がそばにいて、帰る家もある主人公セナンは回復者の中でも恵まれたほうだが、たいていの回復者の境遇ははそうではない。隔離施設でセナンと同室だった元弁護士のコナーは家族とわかれ、選挙戦に出馬する道も閉ざされ、やりたくもない仕事に就いている。回復者の人権が踏みにじられている現状に憤りを感じるコナーは、先にものべたが、暴力的な手段に訴えることとなる。
回復者たちは非感染者からバッシングを受け続け、ときには命の危険にも晒される。世間の偏見の目は強まり、回復者は職業選択の自由や参政権も奪われている。ゾンビから人間に戻れても社会に受け入れてもらえない。かつての日常を取り戻すことはほぼ不可能―。元感染者たちとそれ以外の人々との対立は、昨今の新型コロナウイルス・パンデミックにおける騒動にも通じるところがある。感染者、非感染者、回復者の対立構造に加えて、非感染者や回復者の内部の分断も生まれてしまう。
ゾンビ映画のフォーマットを借りて人種差別や移民排斥など今まさに世界で起きている問題を反映させた本作は、世界中を席巻する新型コロナウイルス・パンデミックという大きな問題も期せずして反映させることになった。
監督のデヴィッド・フレインは本作について次のようなコメントを寄せている。
…私はメディアや政治家が自らの目的のため、いかに人々の恐怖心を煽るかにも興味を抱いた。その恐怖の対象が移民、宗教、ジカ熱など、いずれであっても。そうした行為は怒りと分裂の雰囲気を作り出し、どんな病気よりもはるかに有害だ。このように恐怖を誇張する行為が『CURED キュアード』の世界の基礎を築いている。要するに『CURED キュアード』は恐怖についての話だ。(相)