vol.37 まだみぬ「公正な社会」を求めて
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悔恨や至らなさも糧に
文章は書くのではなく、出会いが書かせるのだ。突き動かされるような出会いの中で、取材者は「いま」の自分を超えていくのだろう。
そんな一人が石橋学さんだ。在日朝鮮人を見つめて来た新聞記者である。
1994年に神奈川新聞社に入り、2年目で川崎支局に赴任した。初の在日取材は尹乙植さん。植民地期の労務動員に起源を持つ集住地域・池上町に独居する一世だった。キムチと鮭、味噌汁の昼飯を挟んだ聴き取りで、この国の「地金」を知った。
日立就職差別裁判以降の権利闘争が実りをもたらす時期、一大震源地が川崎だった…。(続きは月刊イオ2021年1月号に掲載)
写真:中村一成
なかむら・いるそん●1969年、大阪府生まれ。立命館大学卒業。1995年毎日新聞社に入社。現在フリー。著書に「声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々」(インパクト出版会)、「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」(岩波書店)、「ルポ思想としての朝鮮籍」(岩波書店)などがある。『ヒューマンライツ』(部落解放・人権研究所)の「映画を通して考える『もう一つの世界』」を連載中。