続・編集部での8ヵ月-学びと感謝とその他いろいろ-
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先日のブログが今年の締めのようになってしまったが、実は今回が2020年最後のブログとなる。
この8ヵ月間をまた振り返ってみよう。
イオに来てとにかく痛感したことは、日本語の難しさだ。
高校卒業後から、LINEやSNS以外に日本語で文章を書く機会があっただろうか。連絡といっても、略語や適当な口語で成り立っていたので、こんなにも日本語と向き合ったことがなかった。(高校時代ですら日本語で長文を書いた記憶がない…)
文法もさることながら、的確な言葉が日本語で浮かばないことが多々あり、Google先生にはお世話になった。
そして、先日のブログでも書いたが、日本の方々と話す機会が多くできた。
同胞同士で話すときに、「~イジヨね(ですよね)」「~するインミカ?(しますか?)」と、語尾が朝鮮語になるのはあるあるだろう。しかし、ウリハッキョ支援者や、われわれに関心を寄せてくれる日本の方々も朝鮮語や「在日語」を知っている(通じる)場合が多いので、日本の方々の前でもしょっちゅう在日語を使ってしまっていた。文章や取材先で言葉を選んでいる分、日常会話はあまり考えず、とにかく楽に話そうとしている気がする。最近は、店員さんの問いかけにも「예」と答えてしまう。末期かもしれない…。
記者になって、気合いやモチベーションなどの精神論はとても燃費が悪いということにも気づいた。夜型人間なので深夜まで起きることはできるのだけど、翌日その原稿を見ると、読点だらけだったり、何を書いているのかわからない。そして、夜更かしの負荷は大きい。夜更かしをして仕事を進めても、翌日に脳が機能せず、文字が記号にしか見えなくなり、校正にも影響が出る。とにかく計画性と、コンディションを整えることに尽きるというのが2020年の悟りだ。(と言いながらもこのブログは深夜に書いている)
今年、写真が本当に下手だなぁとしみじみ思った。笑
新年号を手に取っていただけただろうか。新連載は写真が多く、とくに「記者のアルバム」は、感性やセンスが問われるような気がする(笑)。2021年は、写真もいろいろトライしてみようと思う。
読者からのメッセージにも力をいただいた。
幼馴染や、そのご両親からメッセージが届いたり、親友からハガキや連絡が来たときはとても励まされた。
また、大学で出会った親友のお子さんを誌面に掲載し、少しふざけた手紙とイオを送ると、「文章おもしろいから、きみがイオにいる間は購読するわ~」と、定期購読を決めてくれた。感謝とともに、誌面では一切ふざけてないことも丁寧に伝えた。
来年はどんな発見があるのか、とても楽しみだ。
2021年も、どうぞよろしくお願いします!(蘭)