常磐線途中下車の旅(4、おわり)
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「常磐線で行く福島浜通り縦断の旅」の報告の4回目。今回が最終回となる。
第1回 https://www.io-web.net/ioblog/2021/02/02/84218/
第2回 https://www.io-web.net/ioblog/2021/02/10/84260/
第3回 https://www.io-web.net/ioblog/2021/02/22/84372/
前回報告した旅の2日目は、いわきから原ノ町まで行き、そこから引き返して富岡、双葉に寄り、小高で一件仕事をこなした後、その日の夜10時過ぎに旅の最終目的地である仙台へ入った。
4泊5日の仙台出張を終えて1月31日、東京へ戻ろうとしたが、あと何ヵ所かだけ寄りたくなり、仙台から常磐線で福島方面へ向かった。
まずは浪江駅。
2011年3月11日の東日本大震災直後の取材で、福島第一原子力発電所の爆発事故を受けて浪江から県外へ避難した人の話を聞いたことがあった。その時にうかがった話の内容は、10年経った今でもよく覚えている。機会があれば一度、浪江を訪れてみたいと思っていた。
2011年の東日本大震災によって浪江町の沿岸部は壊滅的被害を受け、隣接する大熊町にある福島第一原発の爆発事故によって全町民が避難を余儀なくされた。その後、一部の地域で避難指示が解除されたが、大半はいまだ帰還困難区域だ。町民16,681人のうち実際に町内に住んでいるのは1,579人となっている(2021年1月末現在、浪江町ホームページより)。
駅前のロータリー。
駅前ロータリーに設置されたモニタリングポストの空間線量の数値は0.215μSv/h(毎時0.215マイクロシーベルト)を指していた。
駅から歩いて海岸方面を目指す。浪江町役場近くには道の駅なみえ。2020年8月に完成した真新しい施設で、
町のランドマーク、復興のシンボル的存在だという。
高瀬川沿いの道をひたすら歩く。
道の駅なみえから30~40分ほど歩き、高台にある町営大平山霊園に着いた。
震災の犠牲者が刻まれた慰霊碑の向こうに、津波被害を受けた沿岸部の請戸地区をのぞむ。震災時は、襲ってくる津波を避けて町民たちがこの高台に避難してきたという。
浪江駅の中にある「なみえまるみえ情報館」。地元の名産品やパンフレット、ももいろクローバーZのサイン色紙などが展示されていた。
部屋の中央のガラスケースの中にはポケットモンスターのフィギュアが大量に飾られていた。説明によると、ポケモンの作者・田尻智さんの父親が浪江町の出身で、智さんが幼少期に浪江の大自然の中で遊んだ経験がポケモン誕生のきっかけと言われているのだとか。
浪江をあとにして、常磐線で仙台方面へ戻る。常磐線の車内はガラガラ。3密とは無縁の空間だった。
今回の常磐線途中下車の旅で最後に降り立ったのは、常磐線の福島県最北の駅・新地。ここもまた津波で壊滅的な被害を受け、内陸側に真新しい駅舎が移築されていた。駅周辺には飲食店やフットサルコート、ホテルが立ち並ぶ。震災前、海にほど近い駅周辺には漁港や集落があったというが、その面影を探すことは困難だった。
駅から10分ほど歩くと、海岸近くの一帯に整備された釣師防災緑地公園が眼前に広がる。18ヘクタールの広大な土地に子ども向け遊具やキャンプ場、自転車用競技コースなどが設置されている。
公園の一番高い場所に震災のモニュメントがあった。
津波到達地点を示す看板の位置は少なく見積もっても海から10メートル以上の高さはある。10年前、ここを襲った恐ろしい光景を想像し、黙とうを捧げた。(相)