私の「イオ初体験」
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私が生まれたのは1990年。月刊イオの創刊が1996年。実家には創刊号が残っているので、ちょうど物心ついた頃から身近にイオがあったことになる。
一方で、初めて自分からイオを手に取ったのはいつだったかなと考えると、中学2年生以降だったように思う。
中学2年生。北海道朝鮮初中高級学校に通う同級生から「学芸会を見に来ませんか」とお誘いの葉書をもらい、初めて朝鮮学校に足を踏み入れた年である。
そこでは、日本の学校で呼ばれる「こう りえ」ではなく「ファン リエ」と紹介された。「ファン リエ」として考え、話した時間。それだけで、ここはいずれ自分が通うことになる学校なんだなとごくごく自然に理解した。
1泊2日の交流を終え実家に帰ると、それまでも普通にそこにあったはずのイオが急に目に飛び込んできた。この期間に自分が触れたものと、なんとなく「同じもの」なんだなと分かった。
パラパラとめくってみる。そして目に留まったのがこの部分だった。
「ススル」…、声に出して言ってみる。へえ〜手術はススルっていうんだ。なんか面白いな。
これが私の「イオ初体験」だ。
なぜ、よりにもよって日常会話で滅多に使うことのない「ススル」にピンポイントで注目したのかは分からない。スが2つ続いているから覚えやすかったのか。
その後は他の言葉まで覚えようとはせず、「ススル」を繰り返し呟いて満足していた。
ほんの小さな要素だとしても、朝鮮学校につながるものが一つ自分の中に入ってきたという実感があったのかもしれない。
「ウリ」への関心が芽生えた時、好奇心を満たしてくれたのがイオだった。(理)