【イオ ニュース PICK UP】「真実がわかるよう、助けて」—名古屋入管収容中に死亡、ウィシュマさんを偲ぶ会に500人参列
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名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)の収容施設で今年3月に亡くなったスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)をしのぶ会が5月29日、築地本願寺(東京都中央区)で行われた。
偲ぶ会はウィシュマさんの遺族の代理人である指宿昭⼀弁護士らが主催した。主催者発表によると、参列者420人、スタッフ・関係者80人の合計500人が出席した。
開始前から会場の外には人びとの長い列ができた。参列者たちは献花台に花を手向け、故人を追悼した。
ウィシュマさんの妹で次女のワヨミさん(28)、三女のポールニマさん(26)ら来日中の遺族も参列した。遺族は献花を終えた参加者らに頭を下げ、感謝の気持ちを伝えた。スリランカ式の読経が行われると、手を合わせて姉の冥福を祈った。
喪主を務めたワヨミさんが遺族を代表してあいさつした。ワヨミさんは参列者に心からの感謝をのべながら、「2021年3月6日、姉は彼女が愛した日本で一生戻らない旅に出た。姉が返ってこないと思うと、私、妹、母が感じる苦しみは言葉にできない。まだ生きられる可能性があったのに、入管に治療を受けさせてもらえなかったことで姉は亡くなった」などと話した。そして、「なぜ姉は亡くなったのか、その理由をなぜ日本政府は答えてくれないのか。スリランカへ帰って母の疑問に答えられるように、真実がわかるよう、助けてください」と支援を呼びかけた。
「人生で大切なのは呼吸をした回数ではなく、何度息をのむほどの瞬間に出会えるかである。彼女の人生はこのような瞬間に満ち溢れたものであった」。友人代表としてあいさつしたマンジャリ・ラジャパクセさん(33)は米国の詩人マヤ・アンジェロウの言葉を引きながら、ウィシュマさんとの思い出を語った。
続いて、生前のウィシュマさんと面会した支援団体STARTの千種朋恵さん、「NPO法人 移住者と連帯する全国ネットワーク」(移住連)の鳥井一平さんが別れのあいさつをのべた。
最後に、偲ぶ会実行委員会代表で遺族側代理人の指宿昭一弁護士が、「ウィシュマさん死亡の真相を必ず解明し、日本政府と入管の責任を明らかにし、このようなことが二度と繰り返されないように取り組むことを故人に誓いたい」とのべた。
ウィシュマさんは2017年6月に来日し、日本語学校に留学。その後、授業料が払えなくなり、在留資格を失った。20年8月、同居する男性からのドメスティックバイオレンスの被害を訴えて、当時住んでいた静岡県内の交番に助けを求めたが、在留資格を失っていたため名古屋入管に収容された。今年1月中旬から体調が悪化したウィシュマさんは、外部の病院での治療や入院などを求めていたが受け入れられず、3月6日に搬送先の病院で亡くなった。
5月1日から来日中の遺族らは上川陽子法務大臣と面会するなどしてウィシュマさん死亡の原因究明や入管収容中のウィシュマさんのようすを映した監視カメラの映像の開示を求めているが、入管側は「保安上の理由」などを挙げて遺族側の求めを拒否している。
遺族側は「真相解明がないと、帰国して母親に報告できない」と、5月下旬までの予定だった滞在期間を90日間延長。7月に予定されている出入国在留管理庁(入管庁)が作成中の最終報告書の発表を待ち、映像の開示と死亡の経緯の真相解明を求めていくという。
偲ぶ会終了後、遺族側がメディアの囲み取材に応じた。
指宿弁護士は、大々的に告知しなかったにもかかわらず、多くの人びとが偲ぶ会に参列したことは、ウィシュマさん死亡をめぐる問題が多くの市民に衝撃を与え、真相解明と再発防止に向けた強い決意が市民社会の中で芽生えている表れだと指摘した。
遺族側によると、ウィシュマさんの母国スリランカでも事件に注目が集まっており、世論もカメラ映像の公開を望んでいるという。ワヨミさんは、「法務大臣からも哀悼の意が表されたが、本当に哀悼の意があるのであればカメラ映像を開示してほしい」と話した。
東京五輪開催などを理由に、入管側が当初7月としていた最終報告書の発表を遅らせるのではないかという観測があることについても遺族側は、「五輪を理由に発表を送らせるのは筋が通らない」と指摘。指宿弁護士も「遅らせるということは、入管が調査を放棄したとみなして追及していく」とのべた。
一方、指宿弁護士は「入管庁が起こした事件を入管庁が調査するというのは本末転倒」だとしながら、「中間報告も事実を意図的に隠ぺいしている。そのことについて撤回し謝罪しないで最終報告を出してくるなら、それは中間報告の延長でしかなく、入管の責任を否定し責任逃れするためのものだ」と断じた。
今後の行動については、具体的な日程は未定とことわりつつも、野党に真相究明についての協力を求めたり、入管庁から遺族に対する説明の場をあらためて設けてもらうことなどを考えているとした。(文・写真:李相英)